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高森明勅
2019.8.12 06:00皇室

昭和天皇、最後の「終戦記念日」

昭和63年8月15日。昭和天皇が最後にお迎えになった終戦記念日。
当時、昭和天皇のお身体は深く癌に侵されていた
(但しご本人に告知はしていなかった)。
この年の8月は那須の御用邸で静養をされていた。
しかし、ご無理をされてヘリコプターで8月13日にご帰京。
終戦記念日当日には、進退ご不自由なお身体を押して、
日本武道館での全国戦没者追悼式に臨まれた。
この時、侍医長だった高木顕氏の手記には以下のようにある。

「全国戦没者追悼式へのご出席は、本当に心配でした。
果たして無事にお務めになられるだろうかという不安があったのです。
陛下のお気持ちを忖度(そんたく)したりしてはおそれ多いかも
しれませんが、陛下はこの戦没者追悼式はことのほか重要な行事と
お考えではなかったかと思います」
(『昭和天皇最後の百十一日』)

侍従だった小林忍氏の日記には、万が一の場合に備え、
侍従長が一緒に壇上に上がった様子が記されている。

「会場では侍従長が壇上の陛下の後方に席を設け、
おことばの際も近くまでお供(とも)し…お身体を万一のときに
支えるためにもと陛下の前に卓を置いた」
(『昭和天皇 最後の侍従日記』)

そこまでして、昭和天皇は戦没者の霊を慰め、
遺族を労(ねぎら)う為に、気力を振り絞って
壇上に立たれたのだった。
この時のお姿こそ、国民が拝した最後の昭和天皇のお姿だった。
昭和天皇はこの日、次のような御製(ぎょせい)を詠(よ)んでおられる。

やすらけき

世を祈りしも
いまだならず
くやしくもあるか
きざしみゆれど

昭和天皇が即位されてまださほど歳月を経ていない
昭和6年の歌会始(うたかいはじめ)。次の御製を詠んでおられた。


ふる雪に

こころきよめて
安らけき
世をこそいのれ
神のひろまへ

昭和天皇のご生涯は「安らけき世」へのひたすらな
「祈り」で貫かれていた。
しかし、ご生涯で最後の終戦記念日に、
深いお嘆きから「くやしくもあるか」と詠まれざるを
得なかった事実は、余りにも悲しく、申し訳ない。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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