カレーせんべいさんの
ご意見を紹介します!
名古屋の「表現の不自由展」の騒動について、ずっとモヤモヤしていました。
『憲法とは、国民による権力への命令書』であるとゴー宣道場を通じて学びました。
だから第21条の「表現の自由」を権力側が侵害していることが、今回の大きな問題だと理解しました。
しかしながら、その一方で、主催者側の振る舞いについても、どうしても疑問が湧いてしまいます。
◆「表現の不自由展」と銘打っておきながら中止という結果を決めたことは覚悟が足りなかったのではないか?
◆慰安婦像を展示したり、昭和天皇を侮辱することは、はたして「表現」と呼べるものなのか?
本日、関西ホームページでは、以下の言葉を取り上げました。
・・・
《日めくり・ゴーマニズム名言》
わしに差別的なミスがあったら
言ってきてくれ
ちゃんと話し合う
《 出典 》
ゴーマニズム宣言 第5巻(1994.10)
第100章『差別語自主規制に結論を!』
・・・
25年も前の言葉が、今も力強く活きていることには驚きます!
「表現の自由」を支えるモノは、『議論』と『覚悟』ではないかと感じました。
主催者に覚悟がなかったのは間違いないでしょう。
単に「炎上」目的だったんじゃないかと思ってしまいます。
ただ、侮蔑だろうがデマだろうがプロパガンダだろうが「表現」ではあるので、それは「芸術」と呼べるのか? そして、「表現の自由」は無制限に認めなければいけないものなのかというところが問われるのではないでしょうか。