7月30日は明治天皇の崩御(ほうぎょ)相当日(ご命日)。
宮中では天皇陛下がお出ましになる令和になって2度目の恒例祭祀、
明治天皇例祭(小祭)が厳(おごそ)かに執り行われた
(6月30日の節折〔よおり〕と大祓〔おおはらい〕には陛下のお出ましが無い)。言う迄もなく、天皇陛下はご潔斎(けっさい)の上、
古式の装束をお召しになって皇霊殿(こうれいでん)にてご拝礼。
ご静養中の皇后陛下は赤坂御所(ごしょ)でご遥拝(ようはい)の後、
祭祀の間中、お慎み(祭祀のご負担は一般のご公務とは桁違いなので)。「皇太子」がおられたら、やはり古式の装束をお召しの上、
皇霊殿内で拝礼されるべきところ、「皇嗣(こうし)」の秋篠宮殿下は
6月16日の香淳(こうじゅん)皇后例祭(小祭)と同じく、
洋装(モーニングコート)で庭上の幄舎(あくしゃ)にてご参列。
木階の下から拝礼をされた。
更に天皇陛下は8月1日、宮中三殿で旬祭(しゅんさい)に臨まれた。
こちらは陛下お一方の祭り(11日、21日は侍従がご代拝)。
令和の皇室には「皇太子」がご不在。
その現実が端的に反映されているのが「祭祀」の場だ。
しかし、一般の国民だけでなく、識者らも殆(ほとん)ど無関心なように見える。【高森明勅公式サイト】
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