高森明勅先生との動画番組「徒然草 気まま読み」の収録が、
毎回とても楽しくなってきている。
「古事記」もそうだったけど、古典は、中学生、高校生の頃に
読んだ時の解釈が、さらに深まってくるから面白いよね。
読めば読むほど味が出る、スルメみたいな本だ。
子どもの頃は兼好法師を「大昔のすごい坊さま」と思っていたけど、
こんなに悟りきれてない人間味のある人だったのか、とか、
そこまでの深い洞察が隠されていたのか、とか、
兼好、アンタ一体どんな目に遭ってきたのよ(女から)、とか、
大人になったから感じるものがいろいろある。
時代背景がわかると、ようやく意味がわかるものもあるし。
高校一年生、橋本治の『絵本 徒然草』を買って読んだなあ、
あれ、どうしたのかなあと捜索したら、ちゃんと東京まで
持ってきていて、引っ越しのたびの処分をくぐりぬけ、
いまの家の本棚に入ってた。
そこで、ひたすら闇のような疑問だけが残った
「栗ばかり食べる娘」(『徒然草 気まま読み』#22)
について、橋本治はどんな解釈をしていたんだっけ、
と久しぶりに読み返してみたら、
スナック菓子ばっかり食べてご飯を食べないように、
栗ばっかり食べるようなアブノーマルな娘は、
なにも現代になって出てきたのではなく、昔からいて、
つまり、昔も今もヘンなやつはいて、人間というのは、
そのヘンなやつの話が好きなんだ、ということだった。
・・・な、投げやりな。
ヘンな娘でも、親の欲目で、良いように解釈して、
公然と嫁に出す親が多い中、きっぱりと
「こんなヘンな娘はアカン!」と考えた入道は、
筋が通ってる、とも解釈されていて、
若干投げやりだけど、なるほど、と思えた。
部屋中に栗の殻を食い散らかした十二単の娘の
イラストは、怖かった。
確かにこんなホラーな娘を、平然と嫁に出したらアカン。
ちなみに、収録で使っているのは、
角川ソフィア文庫の「徒然草」(小川剛生訳注)です。
徒然草 気まま読み#25
「親しき人を見直す」