天皇および皇族方には、憲法が国民に認める“権利”が、
全面的又は大幅に制約されてしまっているからだ。
それは間違いない。
しかし、だからと言って「奴隷制」とまで言えるだろうか。
人権の有無“だけ”を基準にすれば、奴隷制と言い得る側面があるのは、
残念ながら否定できない。
しかし、奴隷制と言うならば、「自由」と「尊厳」こそが
メルクマールとなるのではないか。
それが我々一般国民に比べて、甚だしく制約されている事実は、
改めて指摘するまでもあるまい。
しかし、少なくとも皇族という身分を“離れる”事は可能だ。
意外かも知れないが、いわゆる「脱出の自由」はある。
その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、
前項目の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、
皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」
「その意思に基き」「皇族の身分を離れる」事が可能だ。
更に2項により、「皇太子及び皇太孫を除く」親王も、
「皇嗣に、精神若(も)しくは身体の不治の重患があり、
又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により…
皇位継承の順序を変えることができる」
もし継承順序を変更すれば、もはや皇太子・皇太孫ではなく、
普通の親王になる。
普通の親王になれば、上記の11条2項の適用を受ける。
従って、皇太子・皇太孫でさえ、今の制度のままでも、
勿論、いずれの場合も「皇室会議」という“関門”が控えている。
だが、皇族ご本人が公然と皇籍離脱の意思を表明された場合、
皇室会議がそれを否定する事は、皇室の尊厳を守り、国民の素直な
敬愛の念を損なわない為には、事実上、殆ど不可能だろう。
大方に見逃されている事実ながら、現在の天皇を巡る制度でも、
少なくとも「脱出の自由」だけは最低限、残されている。
自由も大幅に制約されたご生涯を選んで下さっている。
およそ尊厳と崇高さほど、奴隷制に相応しくない属性は、他にあるまい。
こうした事情を理解すれば、「奴隷制」という表現は、皇室の方々への
人権否認という現実に対する人々の無関心に警鐘を鳴らす意味は持っても、真相を正しく言い当てたものとは言い難いだろう。
このような「幸せ」は、奴隷制の下では決してあり得ないだろう。