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高森明勅
2019.5.6 07:00皇室

天皇を巡る制度は「奴隷制」か

天皇を巡る制度は「奴隷制」だという見方が古くからある。
 
天皇および皇族方には、憲法が国民に認める“権利”が、
全面的又は大幅に制約されてしまっているからだ。
それは間違いない。
しかし、だからと言って「奴隷制」とまで言えるだろうか。
勿論、奴隷制の定義の仕方による話だ。
人権の有無“だけ”を基準にすれば、奴隷制と言い得る側面があるのは、
残念ながら否定できない。
しかし、奴隷制と言うならば、「自由」と「尊厳」こそが
メルクマールとなるのではないか。
 
先ず「自由」はどうか。
それが我々一般国民に比べて、甚だしく制約されている事実は、
改めて指摘するまでもあるまい。
しかし、少なくとも皇族という身分を“離れる”事は可能だ。
意外かも知れないが、いわゆる「脱出の自由」はある。
皇室典範11条には以下のような規定がある。
 
「1 年齢15年以上の内親王、王及び女王は、
その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、
前項目の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、
皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」
 
1項により、15歳以上の「内親王…」は
「その意思に基き」「皇族の身分を離れる」事が可能だ。
更に2項により、「皇太子及び皇太孫を除く」親王も、
事情によっては皇籍離脱の可能性が与えられている。
 
では皇太子・皇太孫はどうか。
典範3条には以下のようにある。
「皇嗣に、精神若(も)しくは身体の不治の重患があり、
又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により…
皇位継承の順序を変えることができる」
つまり皇太子・皇太孫も「重患」以外の理由でも、
皇位継承の順序を変える事ができる。
もし継承順序を変更すれば、もはや皇太子・皇太孫ではなく、
普通の親王になる。
普通の親王になれば、上記の11条2項の適用を受ける。
従って、皇太子・皇太孫でさえ、今の制度のままでも、
皇族の身分を離れる事は必ずしも不可能ではない。
 
勿論、いずれの場合も「皇室会議」という“関門”が控えている。
だが、皇族ご本人が公然と皇籍離脱の意思を表明された場合、
皇室会議がそれを否定する事は、皇室の尊厳を守り、国民の素直な
敬愛の念を損なわない為には、事実上、殆ど不可能だろう。
大方に見逃されている事実ながら、現在の天皇を巡る制度でも、
少なくとも「脱出の自由」だけは最低限、残されている。
 
にも拘らず、そのような選択をされず、
国民の為に(!)、“敢えて”人権は認められず、
自由も大幅に制約されたご生涯を選んで下さっている。
そこに自ずと、比類なき「尊厳」が生まれる
(強制からは決して尊厳は生まれない!)。
“崇高さ”も生まれる。
およそ尊厳と崇高さほど、奴隷制に相応しくない属性は、他にあるまい。
こうした事情を理解すれば、「奴隷制」という表現は、皇室の方々への
人権否認という現実に対する人々の無関心に警鐘を鳴らす意味は持っても、真相を正しく言い当てたものとは言い難いだろう。
 
上皇陛下は「退位礼正殿の儀」でのおことばで
以下のように仰った。
 
「即位から30年、これまでの天皇としての務めを、
国民への深い信頼と敬愛とをもって行い得たことは、
幸せなことでした」と。
 
このような「幸せ」は、奴隷制の下では決してあり得ないだろう。
但し、いわゆる「保守」系の一部に無理やり「奴隷制」たらしめ
ようとする者らがいるのは、同じ国民として申し訳ない。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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