昭和55年2月23日、天皇陛下は二十歳(はたち)におなりになった。
当時は学習院大学に在学中でいらっしゃった。
この日、陛下は皇居の宮殿「春秋の間」で、
成年式に当たる「加冠(かかん)の儀」に臨まれた。
加冠の儀では、未成年の被(かぶ)り物である空頂黒サク〔巾プラス責〕
(くうちょうこくさく)が、加冠役の東宮侍従(とうぐうじじゅう)に
よって外され、成人用の冠(かんむり)が被せられる。
その時に、冠を固定する為の白い懸緒(かけお)が顎(あご)で結ばれ、
余った緒の端がハサミで「パチン」と音高らかに切り揃えられる。
この瞬間が儀式のクライマックスと言ってよい。
陛下は、この時の感慨を次のような御製(ぎょせい)に
詠(よ)んでおられる。
懸緒断(た)つ
音高らかに
響きたり
二十歳の門出(かどで)
我が前にあり
実に堂々たる詠みぶり。
既に“王者の風格”を感じさせる。
この頃は昭和時代。だから、上皇陛下が「皇太子」でいらした。
天皇陛下はまだ皇太子にもなっておられなかった
(だから二十歳で成年式、皇太子なら18歳)。
にも拘らず、早くも将来の天皇たる御方に相応しい、
揺るぎない御覚悟と圧倒されるような御気迫が、溢れている。ちなみに上皇后陛下はこの時、
「二月二十三日浩宮(ひろのみや=天皇陛下)の加冠の儀
とどこほりなく終りて」という詞書(ことばが)きを付けた
長歌を詠まれている。
その反歌だけを掲げておく。
音さやに
懸緒截(き)られし
子の立てば
はろけく遠し
かの如月(きさらぎ)はいかにもお優しげな、
上皇后陛下らしいお詠みぶり。立派に成年式を終えられた天皇陛下を前にして、
既に遠くなった20年前の、「如月」にお生まれになった
当日のことを、遥かに回想されたのだ。
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