ライジング・コメント欄から
ご意見紹介です!
小林先生がブログで「髭を生やして、股を開いて座る女子アナが出現しない限り、上野千鶴子の願望は叶えられない」と書かれたのを読んだ後、今朝の『サワコの朝』という番組で元柔道選手の松本薫さんのお話を聞いて「あっ!」と思いました。
有名な話ではあるのですが、松本さんは現役時代、試合が近くなると女のスイッチを切るのだそうです。
コップを手で持つ仕草ひとつとっても、女性のように手のひらで包み込むように持つのではなく、男性のように指先でつかむような持ち方に意識的に変えていた、と語っておられました。
当時より既に今の旦那様と交際されていたのですが、一緒に外出する時は一定の距離をとって離れておくというルールを作り、彼女らしく甘えることも禁じていたそうです。
そこまでストイックに「女らしさ」を断った結果、生理が止まるまでに到っていたのだとか。
松本さんの場合、「自分は天才ではない。伝家の宝刀を持っていない。だから心構えの点で相手より優位に立たなくてはならない」という戦略によるものなので、言うまでもなくフェミニズム的な発想ではありません。
しかし、上野千鶴子をはじめとするフェミニストらは、日常の仕草から男性に甘えたいという気持ちに到るまで、社会的に強制された「女らしさ」と考えているのでしょうか。
そうでなければ、「愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています」などという発想が出てこないと思います。
つまり、フェミニストは「女は皆、松本薫を模範にせよ。そうしなければ男女差別はなくならない」と断じていることになるのでしょうかね。
もちろん、男尊女卑はなくさなければなりませんが、このような不自然な発想に行き着いてしまうのは、呆れるを通り越して滑稽に感じてしまいました。
(M.Oさん)
それでも上野千鶴子の祝辞を絶賛して特集まで組んだ東京新聞なんかも、滑稽を感じてしまいますねえ。
これはいくらなんでもおかしいぞ、とも感じなくなっているのか、それとも見て見ぬふりをしてるんでしょうか?