以前にも紹介している。
だが、天皇陛下のご譲位と皇太子殿下のご即位を間近に控え、改めて掲げておきたい。今上(きんじょう)陛下がご即位されて間もない頃に、皇室への深い敬愛の念を持って認(したた)められた文章の一節だ。「新帝は先帝陛下の御心(みこころ)をよく理解なさつてゐるやうに思はれる。一部の者には新帝に不満をもつ者もをるやうだが、それならもし新帝が無限の責任を負ふやうな立場につくのは嫌だとおほせられたらどうするのか。新帝は学習院に育ち、自由といふものについても、人生の楽しみがどのやうなものかも知つていらつしやる。それなのに自分のたつた一度の生涯を犠牲にして、最も不自由な地位である皇位に就いて下さつた。自分は公(おおやけ)の為に生まれたのだといふことをお認めいただけたのだ。それだけでもう涙が出るほど有難いことではないか。爾余(じよ)は問ふに足りない事である」(葦津珍彦氏、平成元年)―その後の、陛下の全身全霊を傾けられてのご献身は、私どもの十分に存じ上げている事実だ。まさに「涙が出るほど有難い」ご献身。しかし上記の一文は、間もなくご即位なされる皇太子殿下にも、そのまま当て嵌まる事を
見落としてはならない。