『<芸術>なぜ悪い「バイロス画集事件」顛末記録』
1981年 奢覇都館
1979年、奢覇都館(サバト館)が刊行した、
画家フランツ・フォン・バイロスの画集を書店で見た主婦が、
「わいせつだ」「青少年に見せられない」
と神奈川県警に訴え、出版社がわいせつ図画販売容疑で摘発
される事件があった。
出版社は「わいせつではなく芸術、芸術なぜ悪い」の議論を
巻き起こし、結果、出版社が勝つのだけど、
この冊子は、その当時の雑誌上での議論や対談、事件を報じる
新聞・週刊誌記事などを一冊にまとめたもので、今読んでも
その論点や、争点が大変深くて勉強になる。
バイロスの作品の一部は下記ギャラリーの紹介ページで見られる。
超緻密で繊細なペン画・銅版画の天才で、優美で華麗な装飾と、
淑女の享楽の世界の合わせ技に見入ってしまう作品ばかりだ。
http://www.yart-gallery.co.jp/bayros201601.html
性器がそのまま描かれていたり、貴婦人たちのあられもない
享楽的な姿が、「わいせつ!」と思われたようだけど、
このすごいタッチの絵を、丁寧に作られた画集で見て、
「作品」と受け取れずに「訴える」なんて…
「そういう時代があったのね」と思いきや、現在もほぼ変わら
ないことがたびたび起きる。
バイロスを日本に紹介して画集を刊行し、言論で戦ったのは、
当時京都大学仏文科教授だったフランス文学者の生田耕作と
いう人物だ。
私は生田耕作の翻訳のすごさに魅了されて、サバト館の本を知り、
収集するようになってしまったんだけど、文章と文字と紙と挿画
への愛に溢れまくっている素敵な本ばかりだ。
『初稿 眼球譚』と『マダム・エドワルダ』の大型本。
挿画・装丁は金子國義。
二見書房の「バタイユ著作集」に収められているものとは、
同じ生田翻訳でも全体的に文章が違っている。
生田耕作は、ただフランス語を日本語にして整形する翻訳では
なくて、いかに文学的な味や著者の息づかい、筆のリズムを
伝えるかにこだわった翻訳家だったようで、
何度も何度も同じ作品を改稿していたりする。
このあいだ、すでに刊行された本に、生田耕作本人が赤字を
入れたという本を見せてもらったんだけど、
全編にわたって、ちょっとした会話の語尾、言葉の切り方、
句読点のリズムなどがどこまでもどこまでも校正されていて、
そのこだわり方、決して完成しないものを追い求める様子に
圧倒されてしまった。
勝ち名乗りもすごい。
でもこの事件で生田耕作は、京大教授を辞めたんだよね。
まったく理解のない大学と、学者たちに辟易したんだと。
「バイロス画集事件」顛末記録は、600円の冊子なんだけど、
ネットで見ると、どうやらコレクター価格になっているので、
またライジングでも紹介したいです。
※生田耕作が翻訳しているのは基本的に「異端文学」だから、
読んでみてびっくりしたからと言って、人を訴えてはいけません。