大正天皇のお誕生日は8月31日。
だから勿論、大正時代はこの日が天長節だった。ところが大正時代には、この天長節とは別に「天長節祝日」があった。それは10月31日。天長節自体が祝日のはず。なのに、2月後にこんな“祝日”があるなんて。一般には余り知られていない事実だろう。ましてや、その理由まで知っている人は益々少ないはずだ。これについて『原敬日記』に「大暑中ニテ御儀式ヲ挙クル事困難」(大正2年4月16日)と記している。又、ベテランの宮内記者だった星野甲子久氏はこう解説していた。「大正天皇がお生まれになったのは明治12年8月31日、残暑きびしい最中で、諸官庁は午前中だけの半日勤務、学校は夏休みの時期にあたっていた…。こうしたきびしい時期に、(天皇のお誕生日を祝う)国家の大事な儀礼を行うのはどうかという意見もあって、いろいろ検討した結果、8月31日には(皇室祭祀の)天長節祭だけを行い、宮中拝賀や宴会、それから観兵式などは2ヵ月おくらせて10月31日に行うこととするという宮内省告示が大正2年7月18日に出されたのである。8月31日の天長節に対し、10月31日のは天長節祝日といった」(『天皇陛下の365日―ものがたり皇室事典』上巻)今のように冷房が完備されていない時代であり、大正天皇のご体調に配慮したという事情があったかも知れない。それでも現代の日本では俄(にわか)に想定しにくい措置だろう。当時の大らかな雰囲気を感じる。―なお、2月10日の海上自衛隊東京音楽隊「祝天皇陛下御在位30年」演奏会に私が行けなくなった件は、長男の彼女のお母様がお越し下さるとか。座席指定券が無駄にならなくて良かった。ちなみに海上自衛隊東京音楽隊は、天皇陛下の即位の礼、皇太子殿下ご成婚パレード等の国家的行事や「天皇陛下御在位20年をお祝いする国民祭典」
(平成21年)でも演奏を行っている。