『WiLL』2月号「御代がわりの年に」
という企画に2本の対談。1本は、哲学者で埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏と政治学者で大和大学専任講師の岩田温氏の対談。もう1本は、文芸批評家で関東学院大学教授の富岡幸一郎氏とイギリス外交史、ヨーロッパ国際政治史が専門で同大学教授の君塚直隆氏の対談。どちらも「皇統」への危機感を率直に表明しておられる。「一番大切なことは、天皇の位が次々に継がれ、皇統が途絶えることなく続いてゆくということなんですが、それが現実にはたいへん危うくなっている」(長谷川氏)「15年ほど前、私は(対立する立場の)それぞれの代表ともいえる八木秀次さんと高森明勅さんと雑誌で鼎談しました…当時はとにかく双方が顔を合わせて論じあうことができたんです。今は、それもなくなってしまっている」(長谷川氏)「もちろん、伝統である男系男子が続くことが望ましいのは言うまでもありません。ですが、いざという時のため、あらゆる選択肢を検討しておく必要があるのも事実だと考えております。少なくとも、『女系』という文言が出るやいなや、すぐに『国賊』『売国奴』と決めつけ、一切の議論を排除するという姿勢には賛成できません。現実的な解決策を提示することなく一方的に女性宮家の議論を否定して終わりにしてしまうのは、無責任ではないでしょうか」(岩田氏)「悠仁さまがお生まれになっても、残りの若い皇族方が女性だけというのが現実です。できる限りの手を、できるだけ早く打たねばなりません」(長谷川氏)「旧宮家の復帰について議論されることもあります。結構なことだと思いますが、一向にそのような動きがあるとは聞きません。果たして、本当に旧宮家の復帰は現実的なんでしょうか」(岩田氏)「政治家が旧宮家に接触して意向を内々に尋ねている、というような話を聞きませんね。…もし全員から断られたのであれば、それはそれで教えてほしいですよね」(長谷川氏)「我が国の皇室の存在は、我が国の政治道徳の柱をなしてきたわけであって、そのことは男系であろうが女系であろうが揺るがないだろうと思っています」(長谷川氏)「側室を復活させるとなれば、女性宮家より高い世論の壁を越えなければなりません。やはり最も重要なものを守るために、時代に合わせて変えていく覚悟が求められているのかもしれない」(岩田氏)「日本の神話においては、世界でも類を見ないほど女性がおおらかに認められている。そんな神話の延長線上に皇室があると考えれば、女性天皇、ひいては女系天皇も絶対ダメとは言えないような気がします。それを絶対拒否するというのは、儒教的思考に縛られているのかもしれない」(長谷川氏)「君主制は時代遅れなのか、消えゆく運命なのかといえば、必ずしもそうではありません。…民主主義の欠点を補完するからです。民主主義は、時として強烈な国内対立を引き起こす危険性を持っている。そんな中で、民主国家の『権威』として国民の精神的支柱となり、大きな分裂を防ぐのです。逆に共和制を敷いても独裁体制になる例はいくらでもあります」(君塚氏)「君主制は人類の有する制度の中でもっとも古く、もっとも恒久性のある、それゆえもっとも栄光ある制度の1つである―。憲法学者カール・レーヴェンシュタインの言葉に全てが詰まっていると思います」(君塚氏)「私たちにとって最も重大な問題は、皇室をいかに安定的に存続、繁栄させていくかでしょう」(君塚氏)「国家の最重要課題にもかかわらず、政府も国民も危機感が薄すぎる」(君塚氏)「もちろん、二千年以上男系継承を続けてきた日本の皇室は別格である、それを維持すべきだ、という意見も十分理解できます。しかし、男系にこだわり続けて王室が消滅してしまったヨーロッパの歴史も考える必要がある」(君塚氏)「現在の日本は一夫一妻制で、側室が認められるような状況ではありません。やはり、側室制度がない以上…女性天皇の容認、女性宮家の創設の議論は避けて通れないのです」(富岡氏)「GHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された旧宮家の方々を皇族に復帰させるという案もありますが、国民の理解を得るのは難しいでしょう」(君塚氏)「同感です。日本の繁栄には皇族(皇室?)が必要だ、と思っている人こそ議論を進めていくべきです」(富岡氏)「これは、左派が主張する『男女同権』という問題ではありません。皇室を残していくためにどうするか、という日本国の根幹にかかわる大問題なのです」(君塚氏)いずれも真摯な発言だ。このような危機感が、保守系知識人にも、より幅広く共有される必要がある。こうした議論が、このところ劣化が指摘される保守論壇を代表する雑誌の1つに、並んで掲載された事実は、軽視すべきではあるまい。なお長谷川氏が、将来、上皇が亡くなられた場合に、「崩御(ほうぎょ)」より 1つ格下の用語が使われるという趣旨の発言をされているのは、勘違いだろう。例えば、香淳皇后が「皇太后」のお立場で亡くなられた時も、政府の正式な文書で普通に「崩御」という言葉が使われた。ならば、畏れ多い話ながら将来、上皇后が亡くなられた場合も当然、「崩御」であって、上皇后が「崩御」なら、上皇にそれより格下の言葉が用いられる事はあり得ない。勿論、歴史的にも上皇には「崩御」の語が用いられた。『沙汰未練書(さたみれんしょ)』(1319年から1325年の間に成立)には以下のようにある。「崩御とは、帝王・院・法皇、御隠(おかくれ)
の事也(なり)」と。