サイゾー1月号が、デタラメな記事を載せている。
「禁断のマンガ〈裏〉読本」という特集の「日本礼賛、左派への憎悪、人種差別 万歳!愛国/排外マンガの変遷」という記事の中で、よしりん先生の『戦争論』を「現在に通ずる『排外主義』マンガの源流ともいえる作品」と書いているのだ。
ところが、この記事は、『戦争論』のどこが排外主義なのか、一切指摘していない。そりゃそうだろう。そんな記述はないのだから!
そもそも、これを書いた小峰克彦なるライターは、『戦争論』を1ページも読んでいないのは明確だ。
『戦争論』は描き下ろし作品なのに、平気で〈95年から「SAPIO」(小学館)で連載が始まった小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言―戦争論(以下、戦争論)』〉と書いている。ちゃんと読んでいればわかる、こんな基本的なことすら間違う劣化ライターの記事なのだ。
そして、この記事に登場してコメントしているのが古谷経衡と倉橋耕平。
この二人しかいないのか!
こいつら、もうすっかり「プロ・アンチ小林」だ。特に倉橋なんちゃらなど、陳腐な『戦争論』批判以外でメディアに出ているところを見たことがない。
よほど『戦争論』批判をする知識人がいなかったせいか、記事では京都精華大学・吉村和真教授のコメントを載せているが、そのコメントではむしろ『ゴー宣』について、
「今までストーリーマンガを描いてきたプロがエッセイマンガを、その表現の巧みさゆえに言論マンガへと進化させた作品といえるでしょう。ともすると言論マンガは、文字ばかりになってしまい、マンガとしての面白さは薄くなりがちになります。しかし、『ゴー宣』の場合は『ゴーマンかまして良かですか?』など、持ち前のギャグセンスとのバランスで質の高い言論マンガとなりました」
と、褒めている。もう、わけがわからん記事になっているのだ。
しかもこの記事、『戦争論』が排外主義マンガにつながったという論証は一切されていないばかりか、その後には、
「00年代に入ると『嫌韓流』が登場。すると、そのヒットを受け、今度は中国を批判する『中国のヤバイ正体』や、アングレーム国際漫画祭で撤去された「論破プロジェクト」の「The J Facts」など、露骨に排外主義的なマンガが雨後の笏のように世に出されていく」
と書いている。
同じ記事の中で、排外主義マンガを生み出していったのは『嫌韓流』だと書いているのだ!
どこまでバカなんだ、このライターは!?
それとも、編集部から「『小林よしのりが排外主義マンガの元凶』という記事を書け」とでも要請されたのだろうか?
この記事は、毎度おなじみの「小林よしのりがネトウヨの生みの親」というレッテル貼りと全く同じで、根拠の一切ない誹謗中傷でしかない。デマと言ってもいい。
立憲民主党の公式ツイッターから、古谷経衡のデマ記事リツイートを削除させた件以来、ネット内ではネトサヨによるよしりん先生に対するデマの嵐が吹きまくっているらしい。
こんなことをすればするほど、ネトサヨもネトウヨも全くの同類だということを自ら証明していくだけなのだが。