倉持師範のブログを拝読。
人権とか自然権とか、私は全然わからないので、
ぜひ次回道場でご意見をお願いします!
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さて、移民問題や人権については当日の議論のテーマとして、
ちょっとひっかかったので、これだけ書かせてください。
『新潮45』の問題について。
「あれは表現の自由ではない、営業の自由だ。
営業利益を追求して誰かの人権を傷つけたら廃業は当然」
「新潮45が売り上げのためだけにあんな差別的な特集
組んでるのが許されるわけないでしょう」
私は『新潮45』にとてもお世話になったけど、
路線が変わってからは編集担当者にクレームもつけたし、
ブログでも掲載記事を批判したりした。
内部事情もそれなりに知って、休刊とわかったときは
「やっぱり、そうか・・・」と思ったけれど、
それでもやはり『新潮45』がつぶれて当然、とは思いません。
「あんな差別的な特集」って言うけれど、
そして確かに朝日批判特集も小川記事も
ろくでもないと私も心底思うけれど、
新潮社で培われてきた論壇誌をひとつ失った損失は
計り知れないものがあると思います。
倉持師範の言葉を借りるなら、「表現の自由は
特別であり尊いし、特に守られるべきもの」だからです。
それを言う倉持師範が、なぜ「新潮45は許されない」と
言い切ってしまえるのか、わかりません。
また「被害者」もきめ細やかに見極めないと、
ポリコレによって無敵の権利主体に仕立て上げられるという言、
それはその通りと思います。
であるなら、なおさら、『新潮45』の被害者が誰なのか、
誰が何によってどう傷つけられたのか、
明確でなければなりません。
でないと、『新潮45』はつぶれて当然、という側こそが
無敵の権利主体になっているかもしれない。
そのことに、無自覚であってはならないと思います。