11月19日、第7回立憲民主党「安定的な皇位継承を考える会」。元最高裁判事で『皇室法概論』などの著書がある園部逸夫氏のご講演。さすがに周到綿密。これまでも(私を除き)一流のゲストばかり。だが、レベルがもう一段違う。その包括性と論理性、更に健全なバランス感覚は見事。例えば「退位か譲位か」について。「私は譲位という言葉を使う。天皇がご自身のご意思を起点として皇位から離れられても、憲法が禁じる国政権能には当たらないし、もし当たっても、憲法が人を象徴とする制度を採用している以上、人道上認められねばならない」と。明快だ。或いは「皇太子と“皇嗣”(こうし)の違い」。どちらも皇位継承順位第1位にある。皇室典範は、皇嗣が皇子(その時の天皇の子)である場合にだけ、「皇太子」という称号で呼ぶ事を規定している(8条)。皇太子なら原則、次の天皇になられる事が確定している。ところが「皇嗣」の場合はそうではない。必ずしも次の天皇になられるかどうかは確定していない。具体的には、今の天皇陛下がお生まれになる迄は、昭和天皇のすぐ下の弟宮でいらっしゃった秩父宮が皇嗣の立場にあられた。しかし、昭和天皇のご長男として今の天皇陛下がお生まれになった瞬間から、陛下は「皇太子」となられ、秩父宮は皇嗣の立場を離れられた。一般的に言って、「皇子」がお生まれになる可能性がある限り、皇嗣が次の天皇になる事は確定しない。これも実に分かりやすい。私はこれまで「直系」「傍系」の区別に力点を置いて説明して来た。皇嗣が直系の場合に(天皇の子=皇子なら)「皇太子」又は(天皇の孫=皇孫なら)「皇太孫」の称号を名乗られる、と。だが、「確定か非確定か」という区別は重大だ。歴史上、皇太子がその地位を変更された場合、「廃太子」という不名誉な呼ばれ方をした。しかし元々、次の天皇になる事が必ずしも確定していない皇嗣の場合は、その地位に変更があっても、「廃皇嗣」などと呼ばれる理由がない(現に秩父宮の例を見ても、そうした事は無かった)。皇嗣がそのような立場である事実を考慮すると、政府が再来年に予定していると言う、前代未聞の「立皇嗣(りっこうし)の礼」というのも、奇妙だ。例によって無知を晒している、と言うべきか。園部氏の立論は、皇室の伝統を最大限尊重しつつ、一方では社会や時代の要請に応え、現代の国民の多数に受け入れられる在り方を、当事者の方々の理解と納得を前提に、柔軟に探って行こうという姿勢で貫かれている。それでこそ、制度の運用がうまく進み、結果として長く存続できる、と。
共感できる部分が多かった。