一週間前に買ったきりまだページをめくれていなかった
「Hanada」の最新号を読みはじめたら、
トップバッターの小川榮太郎氏「私を断罪した者たちへ」
という独占手記がいきなりわけがわからなくて、
気になるところに鉛筆で書き込みながら読んでいったら、
はてなマークだらけになってしまった。
どのみち肉体の交わりなんて獣性と暴力性があるものだろう
というリクツで、性的「指向」と性的「嗜好」をごちゃ混ぜに
しているし、
『新潮45』の自分の差別論文を、シェイクスピアの『リア王』や、
ドストエフスキーの『罪と罰』などと同一視して反論する論法も
あまりに子供じみているのでは…と首をかしげてしまった。
さらに、差別批判への反論に、自分の人脈の話をがんばって
書き込んでいるのも意味が分からない。
福田恆存全集の編纂者が私に目をかけてくれていたんだとか、
優れた音楽評論家の先生が私の新人原稿を『新潮』に推薦して
くれたんだとか、
福田和也氏の弟子が私の家に出入りするうちに物別れして
悪縁が重なり、2003年の新潮新人賞を落選させられたとか、
その時の新人編集長だった人が、今回『新潮』の編集後記で
私を断罪しやがったとか…。
つまりは15年前の落選の恨み言なんだもん。
しかし、あの差別論文には、新潮社の校閲3名のチェックが
入っていて、まったく指摘がなかったという。
本当にそうだったのかと変なため息が出た。