11月2日、明治記念館にて甥(おい)の結婚式。
明治記念館は明治神宮外苑の一角にあり、総合結婚式場の第1号という。式場としての格式もトップクラス。私は元々、結婚式の披露宴が余り好きではない。過剰な演出や空疎な美辞麗句、総じて虚飾に溢れた雰囲気を感じる場合が多く、趣味に合わない。だからなるべく避けて来た。しかし今回は、そういう訳にも行かない。明治記念館での披露宴は初めて。どれだけ豪華絢爛で、しかも退屈な宴会になるか、正直に言えば半ば嫌々参列した格好。だが、実に簡明純朴、心からの祝意に満ちて、気持ちが良い宴(うたげ)だった。新郎・新婦の人柄、両家の気風を偲ばせる。料理も美味しい。何より、司会が押し付けがなしくなく、控えめで丁寧で好感が持てた。さすがに一流の式場だ。しかも、会場は「金鶏(きんけい)の間」。明治記念館は、明治時代には赤坂仮皇居の別殿(御会食所)だった。明治40年に伊藤博文に下賜(かし)され、「恩賜館(おんしかん)」と呼ばれた。大正6年に、伊藤博文の養子だった博邦がこれを明治神宮奉賛会に献納。同7年、明治神宮外苑の造営に先駆けて今の場所に移築され、「憲法記念館」と名前を変えた。この建物で枢密院の帝国憲法の審議が行われたからだ。それが戦後、「明治記念館」本館となる。同館で最も格式の高い部屋が「金鶏の間」。まさにこの部屋で、明治天皇の臨御(りんぎょ)を仰ぎ、「憲法会議」が開かれた。その様子を描いた洋画が、「枢密院憲法会議」と題して、同じ外苑内に建てられた聖徳記念絵画館に掲げられている。この絵画の奉納者も同じく伊藤博邦。先日の日本教師塾の研修でも解説した。新郎の高校生の妹は、会場に飾られたその絵の複製を見て、「あ!歴史の教科書に載っている絵だ」と喜んでいた。結婚披露宴も捨てたものではない、と見直した。
新郎・新婦の末永いご多祥を祈る。