新左翼最大の理論家とか、
戦後最大の思想家などと呼ばれた故・吉本隆明氏。たまたま彼が大岡昇平・埴谷雄高に出した手紙を見ていると、日付に元号が使われているのに気付いた(同氏『重層的な非決定へ』)。そこで思い付いて、私の手元にある彼の著書の(著者の本音が比較的反映しやすい)「あとがき」等を点検してみる。すると、昭和期には意外と元号を使っているケースが多かった。およそ次のようだ(カッコ内はあとがき等の執筆年)。『増補最後の親鸞』(昭和51年)『初期歌謡論』(昭和52年)『論註と喩』(昭和53年)『戦後詩史論』(同年)『悲劇の解読』(昭和54年)『改訂新版共同幻想論』(昭和56年)『源氏物語論』(昭和57年)『重層的な非決定へ』(昭和60年)『信の構造3』(昭和63年)―という具合だ。平成に入ってからも、『アフリカ的段階について』(平成10年〔1998〕)という、元号と西暦を併記した例がある。一方、西暦を使った例は以下の通り。『高村光太郎』(1957年)『世界認識の方法』(1980年)『信の構造』(1983年)『宮沢賢治』(1989年)『未来の親鸞』(1990年)『追悼私記』(1993年)『真贋』2006年)『吉本隆明自著を語る』(2007年)『老いの幸福論』(2011年)なお『吉本隆明歳時記』には「あとがき」がなく、元版の『共同幻想論』の「後記」には執筆年が抜けている。他にも『心的現象論序説』等の著書があったはず。だが、急には見つからない。以上は、私の貧しい蔵書から急いでかき集めた吉本氏の著書(但し著作集を除く)の点検結果に過ぎない。昭和54年の元号法制化前後には、共産党や社会党をはじめ左翼の「元号」への批判がかなり激しかった。にも拘らず、吉本氏は普通に元号も使い続けていた。「大衆の〈原像〉」を力説した彼らしいとも言える。一方、(近年、吉本への関心が薄れた為に)サンプルが少ないので些か心もとないが、平成になってからは西暦が多くなったようだ。これも、新聞の多くがそれまでは元号主体で西暦を併記していたのを逆転させる等、出版物全般に西暦シフトが起こったのに呼応しているようにも見える。このところ、「保守」を盛んに言い立てる者達を見掛ける。彼らの著書の「あとがき」では元号と西暦のどちらを尊重しているのだろうか。例えば、手元の中島岳志氏『アジア主義』の「文庫版あとがき」を見ると「2017年」となっていた。別に、こんな事で言葉狩りをする必要はない。でも、その論者の本音や素養を判定する、
1つの手掛かりにはなるだろう。