10月14日、ゴー宣道場。テーマは男女平等とLGBTを巡って。予め心配していた事が1つあった。それは、いつもの道場のようにユーモアを失わないでやれるか、どうか。特にLGBTの扱い方は難しい。しかし、それは杞憂に終わった。会場はいつもに劣らぬ笑い声で溢れた。それだけで私にとっては「成功」だ。泉美木蘭師範の基調講演はやや長めになった。でも、参加者は熱心に耳を傾けていた。それも当然だろう。彼女の丁寧でひたむきな話は、ご自身の取材と体験も織り混ぜて、とても興味深く聴き易かった。男女平等については、勿論「平等」という理念それ自体は大切ながら、単純に、とにかく差別は罷り成らぬ!と一般的・抽象的・イデオロギー的・原理主義的に切り捨てるのではなく、合理的な根拠を持つ差別(広義の差別)とそうではない差別(狭義の差別)の線引きを、個別具体のケースごとにどうするかという、現実の多様性に配慮した緻密な対応が必要だという辺りは、皆さん概ね理解して貰えたのではないか。倉持麟太郎師範がこんな話をしていた。「火事になれば、小林よしのり師範の隣に目下杖を必要とする笹幸恵師範がいれば、小林さんが彼女をおぶって逃げるべきだし、逆に隣にレスリング金メダリストの吉田沙保里選手がいれば、彼女が小林さんをおぶって逃げるかも知れない」と。絶妙の喩えだ。私自身は反省もある。LGBTについての議論で、性別(生物学的な男女の区別)と性自認(本人が自分の性をどう認めているか)と性的指向(どのような性に対して好意や性的欲求を持つか)をきちんと整理した上での討議を、もう少し積極的に働きかけるべきだった。それを途中で一言だけ触れたのにとどまったのは、残念。そこが未整理だったので、よけいに複雑な印象を与えたかも知れない。それでも、本人が自ら選んだのではない事を理由に、合理的な根拠を欠く差別をする事は決して許されない、という点では誰しも異存はなかったはずだ。個別に掘り下げるべき論点はいくつも積み残した。
それは道場が失敗したのではなく、成功した証拠だろう。