新潮45が休刊で言論空間がどうのこうのって、これ、本当に真に言論の自由の話なんでしょうか?
違うんじゃないか
これ営業の自由の話じゃありませんか?
営業利益最大化するために、言論の持つ人間の尊厳に直結する価値や公平性や民主主義社会への寄与や他者の尊重etc…これらをすべて度外視してとにかく特定のマーケットに刺さることだけ目的に意図的・意識的に自らの視野狭めて便所の落書きみたいな文章載せまくったんでしょうが。
それで他者傷つけて批難されたら言論の自由だ?言論空間だ?
ふざけないでほしい。
営業の自由最大限行使して工場運営して汚染水垂れ流して他者を傷つけました、営業の自由のためだけに料理作ってたら食中毒出しました、営業の自由だけ重視して薬売ってたら発がん物質が入っていました・・・
こういう場合だったら、即営業停止、廃業でしょう。
「営業の自由が不当に侵された!営業封殺だ!」なんて誰が言いますか?
真に言論への敬意がないからこそ、こうやって言論の自由と営業の自由をご都合主義的に使い分けるわけです。
言論の自由を本当に成り立たせていく社会はおそらくとてもとても一人一人の寛容性や我慢含めて求められるんだと思います。権力者も含めて。
これ、マスコミがやってますか?雑誌がやってますか?
すべての表現媒体を否定するつもりはありません。マスコミの中だってフリーの人だってアーティスト個人だって闘ってる人はたくさんいる。
そういう人の言論だって、このままじゃ社会が窒息死させてしまうと思います。
憲法12条にある「不断の努力」と高次に呼応しあう、だからこそ脆くも尊い、そういう権利だと思います、言論の自由って。インフレ化甚だしい。
言論の自由の安売りとダブルスタンダードについ熱くなって書いてしまった。
言論の自由をまとった営業の自由、見破ってこ