近頃、複数の方面から、私の元にこんな声が届く。
「最近、男女平等を求める声が高まっています。女性宮家を創設するのに有利な情勢が生まれつつあるのではないですか。良かったですね」と。これは、私に対する善意・好意・共感を前提とした声だろう。そのお気持ちは確かに有難い。但し、誤解があってはいけないので、念の為に記す。私は、原理主義的な「男女平等」の立場“から”、女性宮家の創設を唱えて来た訳ではない。明治の皇室典範が、歴史上初めて皇位継承の資格を「男系の男子」に限定した背景に、当時の“男尊女卑”の風潮があったという「事実」は、指摘して来た。又、そうした旧時代的な男尊女卑の観念が、現在および未来の皇室の在り方を考える場合に、とても判断の基準にはならないという「認識」も、ハッキリ持っている。だが、男女平等という「理念」を機械的・原理主義的に、社会のあらゆる場面に貫徹させるべき“だから”、女性宮家を創設し、「男系の男子」という継承資格の限定も見直すべきだ―というロジックは、私はこれまで述べていない。勿論、男女平等という理念そのものは、頗(すこぶ)る大切だ。その理念と現実との調和が極力図られる必要があるのも、言う迄もない。不当な女性差別が許されない事は当然だ。それを疎(おろそ)かにするつもりは更々ない。では、私がこれまで20年以上に亘って、ひたすら女性宮家の創設と「男系の男子」限定の見直しを主張して来たのは、何故か。皇位継承の安定的な継承、皇室存続の為の方途は、リアルかつシビアに検討した場合、それ以外にあるまいと考えられるからだ。第一義はあくまでもそこにある。この点を誤解をしないで貰いたい。
今更、改めて言うには及ばないだろうが。