昨日の生放送、ご視聴いただいた皆様どうもありがとうございました!
「毒のある表現」と「嫌悪感」は違うという話で、思い出した「ゴー宣」の一章があります。
ビートたけしが『だから私は嫌われる』という本を出した時、よしりん先生は「ビートたけしほど万人に愛されている人はいない。自慢じゃないが、本当に嫌われているのはわしだ!」と、かましたのです。
(新ゴーマニズム宣言6巻・第66章「反・小林よしのりが増える理由」)
確かにビートたけしは「毒」のあるギャグを売りにしているけれども、それもとっくに愛嬌のある「芸」として完成しているし、意識して嫌悪感など持たれないようにしてますよね。有吉弘行とか坂上忍なんかもそうですけど、そうじゃないと、テレビに出られるわけがありません。
ちびまる子ちゃんもそうで、「毒」はあってもいいけど「嫌悪感」があったら日曜夕方の長寿アニメになるわけがないのです。
こんなこと言うと『おぼっちゃまくん』も土曜のゴールデンタイムのアニメになったじゃないかと言われそうですが、実は『おぼっちゃまくん』は全然スポンサーがつかなかったアニメなのです。
放送開始当初こそ、提供クレジットに大企業が何社も並んでいたのですが、それがいつの間にか全部いなくなって、私はそれ見てあっけにとられたもんです。
途中から「コジマ電気」が一社だけスポンサーに入ったのですが、もちろんコジマの単独提供というわけではなく、余ったCM時間はスポットCM(時間指定なしで入れられるCM)で埋めていました。
これは普通のゴールデンタイムの番組に比べれば相当CM収入が低かったはずですが、それでも番組が続いたのは、とにかく視聴率があったからです。
親が買い与えたのではなく、子供が自分のお小遣いで単行本を買っていたのと同じように、アニメもスポンサーに気に入られて続いたのではなく、見てくれた子供たちのおかげで続いたのでした。
他ではちょっと考えられない、今となっては勲章みたいな逸話だと私は思ってます。