明治の皇室典範では、側室制度を当然の前提として、
「庶出(非嫡出)」子孫にも皇位継承資格を認めていた。しかし、今の皇室典範ではそれを否認している。こうした制度変更は何故行われたのか。「確かに皇位の永続性というような観点から考えるならば嫡出子以外にもそういうもの(皇位継承資格)を認めるというのも1つの考え方であろうとは思いますけれども、やはり時代の趨勢というようなものの中で道徳的判断というものが漸次変わってきた、こういうことを考慮いたしまして、我が国におきます社会一般の道義的判断に照らして、天皇または皇族の資格としては嫡出子に限る、こういうふうに考えるのが適当であるというふうに判断された」(平成4年4月7日、参議院内閣委員会、宮尾盤宮内庁次長)「天皇陛下は国の象徴、国民おのおのの象徴として、すなわち国民道義の儀表たるべきお方であるのでありますから、その御地位に即かれるお方も、正当の婚姻によって生まれられた方に限りたい」(昭和21年12月6日、衆議院本会議、吉田茂内閣総理大臣)「天皇の象徴たる地位に鑑み、この地位につかれる資格としては、嫡出に限り庶出(非嫡出)を認めないことが適当と考へたのである」(法制局「皇室典範案に関する想定問答」)こうした判断、考え方は、国民的コンセンサスという観点から、確かにその通りだろう。だが、非嫡出子孫による皇位の継承を全面的に排除しながら、明治の典範が採用した「男系の男子」という限定だけはそのまま維持した場合、
将来の皇位継承がどれだけ危うくなるか、制度変更に携わった関係者は誰も気付かなかったのか。