先日、紹介した「記憶」を巡る小泉今日子氏の一文。
そこでの「私」「自分」を“国民”に置き換えると、殆どそのまま「歴史」への洞察と言い得るのではないか。「私の心の中に詰まっている様々な記憶は過去からの優しい風のように、今の私を慰め、励まし、奮い立たせてくれる。良い事も、悪い事も全部が愛しい大切な思い出。私の記憶は私が私であることの証明みたいなものだ」「自分のことを好きだと感じることは簡単そうで難しい。生きていれば次から次へと新たなステップを超えなければならないから自分を見失いそうになる。大切な思い出はそんな時、頼もしい道標になってくれる」―
いかがだろうか。