九州ゴー宣道場二次会のカラオケで、複数の人から「もくれんさん、もっと前みたいな笑えるの書いてほしい」と言われて、それ、私がずっと悶々としているところで、まったく同感なんですよね、なんて思っていた。
カレーせんべい氏は、以前ライジングに書いた「H大好き40歳さん」の話が最高におもしろかったと言ってくれた。あれもう3年以上前の記事だけど、そうでしょ、ああいうのおもしろいよね。
そうなんですよ、わたしってば、元来もっと手に負えないふざけた女で、大量の無駄話からどう笑いを見つけるか、みたいな、河原の砂金すくいみたいなことばっかりやってる人間で、こんなに真面目に社会を語ってるキャラじゃないんですよ、本当は。
しかし、今回もまた、ハンス・ベルメールを大真面目に語ってしまったー!
小林よしのりライジング号外2018.6.12
だって、小林先生の『ゴーマニズム宣言』で書かれているとおり、イデオロギーに丸め込まれてどんどん自由度が失われ、日本は「建前社会」まっしぐらという状況だ。金切り声の“風紀向上”ルールがはびこって人々の肌感覚を引きつらせるとともに、日々、文化がやせ細っていくのを感じる。
美人は天才、まったく同感ですよ。容姿でもって大勢の人を楽しませられるのだから、特段に秀でた体型や顔は、秀でた歌声や運動能力や色彩感覚、絶対音感なんかと同じ、持って生まれた才能、その人が大勢のために使うことで循環する才能なんですよ。そう、才能を受け持った人は、それを広く循環させなきゃいけないところがあるんだと思うんですよ。
ミスコンで水着審査中止とかふざけるんじゃねえよ、まったく。あたしはオッサンか!
わたしの周辺の表現者たちは、高齢になればなるほど「つまらない」「なにも言えない」「表現できない世の中になった」と言っている。
特に、「写真家」というジャンルになると、その感覚が顕著なんじゃないかと個人的に感じている。写真は、「その時代」をそのまま写していくものだからだ。
戦後の写真創成期から、表現手法や技法を切り開いて提示してきて、現在活躍中のカメラマンたちに多大な影響を与えてきた年代の方々の傑作が、自主規制の対象や再販不能に追い込まれたりしているのよ。そこに芸術性があるのに。
そういうのを見ていると、世の中ちゃんちゃらおかしいぜと何度でも言いたくなってくる。だから、つい真面目になっちゃう。
だけど、お笑い砂金すくいにもどりたいなあ。
そういえば、もともとライジングの連載は「小説・わたくしの人たち」と交互に書いていたはずなんだけど、森友学園問題が発生したあたりから、毎回社会時評だけになっちゃったんだった。うーん。なんかうまい方法考えなくっちゃ。