この写真、どこかで見たことがあるという人は多いと思います。
フランスの写真家、ロベール・ドアノーが米『LIFE』誌の依頼で
撮った「パリ市庁舎前のキス」(1950)という一枚です。
恵比寿の東京都写真美術館の外壁に、この写真と、
ロバート・キャパの「ノルマンディー上陸作戦」と、
植田正治の「妻のいる砂丘」を超引き延ばしたものが飾られて
いたけど、今もあるのかな?
とにかく超有名な一枚で、
「フランスはラムール(愛)の国」というイメージを世界的に
広めたものでもあります。
海千山千の私がいま見ても
「フランス男ってなんて素敵な角度でキスするのかしら…」
と思います。こんな強引なキスって素敵、とか。
ところがこの一枚の写真、あまりにも有名になりすぎたため、
撮影者ドアノーに、晩年になって理不尽な仕打ちが降りかかります。
1950年に撮影されたこの写真は、しばらく倉庫に眠ったのち、
80年代に入ってから、印刷技術の発展と商業主義によって、
ポスターになって世界中で売れました。
すると、パリに住むある夫婦が「これは若い時の私たちだわ!」と
名乗り出たのです。
老齢のドアノーは、訪ねてきた夫婦を受け入れ、食事をしました。
夫婦は、写真を見たときから自分たちの恋人時代だと思ってきた、
と。そして撮影時の様子を根掘り葉掘り聞こうとします。
しかしドアノーは、「二人の思い出を壊すから」と言って、
なにも語りませんでした。
すると、なにが目的だったのか……怒った夫婦は、
「勝手に撮影をされた。肖像権の侵害だ!」と裁判を起こします。
ドアノーは大昔の写真の件で裁判所に引きずり出され、裁判官から、
この写真を撮影した過程を話せと命令されました。
そして発覚したのが……
この写真は、あくまでも『LIFE』誌の依頼で撮影したもので、
撮影計画を立て、役者を使ったものであるという事実だったのです。
この写真を撮る前に、ドアノーは、街角で車の窓越しにキスする
素敵なカップルを見かけ、声をかけました。
写真に撮りたいからもう一度キスしてほしい、と。
しかし、彼氏から
「彼女は僕の勤め先の社長令嬢だからムリ」
と断られてしまいます。それで、実際に恋人どうしの役者カップル
に頼んで撮ったのが「パリ市庁舎前のキス」。
偶然の風景でもなければ、名乗り出た夫婦でもなかったわけです。
夫婦はもちろん敗訴しました。
ドアノーの言う通り、思い出も壊れました。
そして、大勢の人々が思い思いにイメージを投影させてきた、
「作品」の自由な世界観も・・・。
人って、つまらないことで自由を破壊してしまう・・・。
さらに、今度は写っている役者の女性が、欲望に眼がくらみ、
「肖像権」を叫んでまたまた老齢のドアノーを告訴します。
しかし、ドアノーは撮影の数日後、写真のオリジナルプリントに
サインを入れたものを女性にプレゼントしていました。
無理やり撮ったものでも、騙しでも盗撮でもない、ちゃんとお礼が
受け取られて成立していた話なのです。
女性は敗訴し、この自身のキス写真をオークションに出品しました。
落札価格は・・・2100万円(2005年)ということです。
彼女にとっては、若かりし日の恋の思い出よりも、現金のほうが
魅力的だったんですね。
人間って、あさましい…。