いま3冊の本の仕事を同時進行でやっているのだけど、
そのうちの1冊、おカネより、作る過程を楽しもうや、
というめずらしい状態になってるのが、働いてきた店の、
50周年記念本。
というめずらしい状態になってるのが、働いてきた店の、
50周年記念本。
ライター業が忙しくなってから、スタッフとしては店には
あまり出られなくなったけど、週に何日も出てた時よりも、
50年間かけて店内にぱんぱんに詰まっている濃厚な歴史と、
開店当時、青線地帯だった付近の様子をじっくり振り返る
作業ができて、驚くことばかりだ。
作業ができて、驚くことばかりだ。
先代のママが大勢の作家、芸術家に愛されていた人で、
店のことが描かれている作品がたくさんあるのだけど
店のことが描かれている作品がたくさんあるのだけど
それを発掘するだけで四苦八苦。
40年以上前の店のスタッフだった方や50年前からの常連さん
とお会いして、当時の話を今の店内でお聞きするというのも、
ものすごい時空を感じる。
とお会いして、当時の話を今の店内でお聞きするというのも、
ものすごい時空を感じる。
赤塚不二夫さんが超常連で、ママ一族と家族ぐるみの仲だった
そうなのだけど、当時、店で習慣として撮っていた大量の
ポラロイド写真を整理してみたら
「こんなの本にのせられましぇーん!」てのばかり。
そうなのだけど、当時、店で習慣として撮っていた大量の
ポラロイド写真を整理してみたら
「こんなの本にのせられましぇーん!」てのばかり。
なぜこうも脱いでいたのか。
しかもつられてみんな脱いでるし。
脱いだだけでは足りなくて、路上で並んで四股踏んでるし。
赤塚さんには、数々の体を張った芸があって、それがいちいち
狂ってて人づてに聞いても爆笑してしまうのだった。
私の親分DJ・Kさんは、絶対に客のリクエストを受けつけない
かわりに、どんな人でも、それがどこの国の外国人でも確実に
盛り上げて楽しませてしまう音の職人なんだけど、
(半世紀も定点でDJやってると魔法が使えるようになるのだ)
かつて作家の中上健次氏と「ボブ・マーリーかけろ」「かけない」
で揉め事になり、ビール瓶が飛んできて額ぱっくり。
それでも中上氏に負けない荒ぶる男だったKさんは、
顔面血まみれのまま「ボブ・マーリーはかけねえ…!」頑固一徹、
結局かけなかったのだそうだ。
いまは72歳になって、やさしいおじいちゃん、という風情の
Kさんだけど、もちろんリクエストは絶対に受けない。
やさしい笑顔で、受けない。
でもかけてる曲の歴史背景や、使われてる楽器のこと、
民族音楽の場合はその部族の解説をすごい勢いで教えてくれて、
そして必ず、なにかひとつケチをつけて話は終わる。
私は勢いで強引に場を盛り上げるタイプだけど、
まだまだ顔色うかがっちゃうからなあ。
大勢を楽しませて一定の時間ひっぱるってすごく難しいんだ。
音楽の話だけでなく。
音楽の話だけでなく。
この小粒なご時世でも、そこそこ血の気の多い荒っぽい場所
だけど、50年存在してるだけの引力のある場所だったんだな、
と改めて思っているところ。
新人スタッフの頃は、働くなかで妙に不自由に感じたり、
不思議だなあと思う事もあったけど、今はその不自由にこそ
意味があったと理解できている。
新人スタッフの頃は、働くなかで妙に不自由に感じたり、
不思議だなあと思う事もあったけど、今はその不自由にこそ
意味があったと理解できている。
さすがに最近は、ビール瓶は飛んでこないけどね。
2メートルぐらいの植木を振り回していた人はいたけど。