今日発売の『文藝春秋10月号』に、「お気持ち表明」に至るまでの
天皇皇后両陛下と宮内庁参与の議論の様子が掲載されている。
最初に陛下が「私は譲位すべきだと思っている」と議題を投げ掛け
られたのは、もう6年も前、2010年7月のことなのだそうだ。
宮内庁参与会議のメンバーは、宮内庁の職員ではなく、あくまで
「天皇の私的な相談役」の数名。
人数分の弁当が並べられた長テーブルに全員が着席して、
天皇陛下が座長役をおつとめになっての議論が行われるという。
会議では、皇后陛下も非常にシャープな意見を述べられるそうだ。
公の席での雰囲気とはまったく違って、「議論にお強い方です」との
証言もあった。
2010年7月の「譲位」の議題に、場は騒然となり、
最初は皇后陛下はじめその場の全員が
「摂政をお立てになっては」「陛下以外の天皇は考えられません」
と反対の意を唱えたという。
しかし、陛下は強い口調で「摂政では駄目なんだ」と述べられる。
その日の議論は夜7時にはじまり、深夜12時を回るまで続いたという。
もちろん交わされた議論の内容についてそのすべてを記事にできた
わけはないだろうが、両陛下ふくめ全員が立ったまま議論を続けるなど
その激しさが生々しく描写されている。
この最初の「譲位」の会議から、議論は何度も繰り返され、
長時間の議論のあとは、立ち上がった皇后陛下がよろめかれる時
すらあったという。
やがて、皇后陛下はじめ全員が天皇陛下のご意思に賛同。
陛下は、この国でたったひとりで立ち上がられ、議論によって
道を作ってこられたのだ。
それからは、陛下のご意見を代弁する宮内庁長官が、時の政権との
パワーバランスにいかに苦慮しながら、ボールを投げかけてきたかが
綴られている。
2009年・鳩山政権下で小沢一郎氏が、陛下に習近平との会見を求めた
「天皇の政治利用事件」も、
2013年安倍政権のオリンピック招致活動への高円宮妃出席要請も、
宮内庁と政府とのいさかいとなり、それがもとで意思疎通が途切れ、
結果、陛下のご意思を相談することが難しくなるという影響があった。
政権交代を待たねばならないことも何度もあったという。
天皇陛下の譲位=皇室典範改正実現への闘いは、2016年8月の
あのビデオメッセージで突然始まったものではなかった。
これまで起きてきたさまざまな皇室と政権との問題は、
今になってようやく国民に知れ渡った陛下の譲位へのお気持ちに
すべて関わっている問題だったのだ。
しかし、安倍首相は、オフレコの場ではこう漏らしているらしい。
「やるなら特別法だ」
「皇室典範に手をつけるといろいろな蓋を開けてしまう」
女性宮家・女系天皇論には触れたくない、蓋をしておきたいという露骨な
本音だ。
安倍首相は、当然、この6年間の天皇陛下・宮内庁との攻防の当事者
であり、陛下のご意思を十分に知り尽くしているはずである。
それならば、「皇室典範の改正には長い時間がかかるから」などという
理由で「特別法」に逃げることは、陛下をどれほど侮辱・愚弄する行為
なのか、十分に自覚して発言しているはずだ。
そこまでして、天皇陛下に反逆したい理由はなんなのか?
日曜日のゴー宣道場では、孤独な長い闘いを続けられている陛下を
強く支持し、反逆者たちの姿、反逆者たちに影響されてしまう人々の
心理をとことん解剖し、言語化していきたい。