「いざ戦争になったとき、なんの役にも立たない人間に、
戦争や国防について堂々と意見を述べる権利があるのかな」
道場の前後に読んだ本や、道場での議論を通して、
ずっとこんな自己問答が、胸に覆いかぶさったままです。
道場では、小林先生が「女性の意見を聞く」とあえて宣言して下さったので、
私のなかの、ごく普通の感覚や感情を発言することができたけれど、
そうでなければ、男性の先生方や、戦争に詳しい笹さんが次々と論じて
いかれる様子を、ただただメモしながら聞いているだけ、
せいぜい、感想を述べるといった程度になったかもしれません。
ある朝、急に近所が戦場になって、死ぬ段となれば、
包丁ぐらいふりまわせると思うけど、そんなの意味なさそうだし、
武器の知識も、点滴や輸血や添え木のやり方も知らない。
体力もないし、運動神経も悪いから、避難するにしても、
見当違いの行動をして他人に迷惑をかけるかもと思う。
かつて激戦場だった場所へ渡ったこともないので、
「リアリティを持って考える」ということが甘いとも感じる。
ただ、親が子供の痛みを我が身以上に感じる感覚は知っているから、
わざわざ、無用な戦争に巻き込まれる方向へなんか舵をとらないで!
と、猛烈に思い、安倍晋三に腹が立ってしょうがない。
意見が言いたい。
でも、そんな役に立たない人間の分際で、堂々と、
「もっとガッチリと自主防衛を基本に据えるよう舵を取ってほしい」
なんて、表明してしまっていいのかな…。
私の母親は、戦争モノの映画や番組が嫌で嫌で仕方ないらしく、
先日テレビで放映されていた『永遠の0』も、ちらっと見てすぐに
チャンネルを変えたと言っていた。
「岡田クンはちょっとだけ見たし、凛々しそうな姿だったけど、
こういう子たちが死ぬために突撃していく話なんでしょ?
想像するだけでかわいそうで、胸が苦しくなるから見ていられないわ。
戦争モノなんか、お母さん大嫌い!」
私は「顕彰」という感覚をゴー宣道場を通して学んだけれど、
直視できないほどの「かわいそう」を感じるがために、
『戦争モノなんか大嫌い!』と言い切る母親の感覚も、
ごく普通の善良な市民の感覚だなと思った。