救命活動中の女性に「土俵から降りろ」とアナウンスが
あったことが報道されている。
相撲は「女人禁制」が伝統と信じ込んでいる観客が騒い
だので、行司が慌ててアナウンスしたらしい。
人命を無視して心臓マッサージを止めるわけにはいかない
のは当然のことだ。
人命より伝統が大事というのは伝統を原理主義と勘違い
しているカルトである。
わしも昔は「女人禁制」は伝統かと思っていたが、
皇統の男系主義に違和感を持って以降、「伝統」という
ものの正体を勉強して、そのほとんどが「因習」だった
ことに気づいた。
したがって今回の相撲の現場のケースを、緊急時である
から特例だと考えてはならない。
「女人禁制」は伝統ではなくて、「因習」であるからだ。
相撲における「女人禁制」は、明治の「男尊女卑」の強化
から伝統だと勘違いされていったものだ。
日本書紀の雄略天皇の記述部分に、最古の采女による
女相撲の記述があるし、
室町時代には比丘尼が相撲をとっている。
江戸時代には女相撲は頻繁に行われていたし、
明治15年にも山形県で女相撲が行われている。
もちろん女相撲も上半身裸で乳房丸出しだ。
だが明治になって、女性が取っ組み合う様子が野蛮で
文明開化ではないと板垣退助が批判し、この文明開化の
波に乗って、長年、相撲界に蔓延る男尊女卑の土壌が
女人禁制を伝統として浸透させ、その論拠として神道の
汚れの感覚が利用されたようだ。
男尊女卑の感覚自体が、実は文明開化なのである。
これによく似ているのが女性宮家の排除とか、大嘗祭の
女性皇族の排除とか、女性天皇の拒否とか、天皇は
男系継承しかダメという、皇室に関する男尊女卑思想
である。
相撲とまったく同様に、明治の文明開化と、神道・仏教
の女性蔑視思想がドッキングして伝統だと勘違いされた
ものに過ぎない。
原理主義としての伝統など、日本には存在しないのだ。