3月4日、ゴー宣道場の師範が集まって打ち合わせ
(但し笹幸恵氏はペリリュー島)。
そこで、3月2日の私のブログを読んで、
小林よしのり氏が侮辱されたように受け取られた事を伺った。
更に、道場を支えて下さっている人たちの中にも、
道場そのものが貶められたように感じた人がいたと。
私があのブログで言いたかったのは、学者、研究者にとって
思想的・政治的にメッセージ性の強い場所へ出ていってゲストとして
発言することは、普通ならハードルが高いと見られるのに、憲法学者が
何人も登壇してくれるのは、ゴー宣道場での議論の「公的」な意義が
きちんと理解されているからだろう、という事だった。
これまでも私自身、例えば歴史教科書の是正に取り組んで、
歴史学者の協力を得る事がいかに至難であるかを、身に沁みて
知っている。
その経験に照らしても、第一線の憲法学者が毎月、
道場に参加して下さるというのは、決して当たり前の事ではない。
これは、道場という存在がそれだけ認知されているという事でもある。
一方、それらの憲法学者と直接、交渉に当たってくれている
倉持麟太郎氏の苦心も、私なりに理解できるつもりだ。
その辺りの気持ちをブログに書いた。
しかし、私自身の意図とは全く違う受け止め方がされかねない、
舌足らずな表現だったと悟った。
小林氏からは「わし自身の事はどうでも良い。
だけど、一生懸命に道場を支えてくれている人たちに申し訳ない」
という主旨のお話を伺った。
私の配慮の至らなさが誤解を招き、不快感を与える表現に繋がったと
気付いた。
その事を深く反省すると共に、小林氏を始め不快に感じた
全ての方々にお詫びしたい。
幸い小林氏は私の非礼を寛大に許して下さった。
その場で不躾ながら、私から小林氏に繰り返し伏してお願いしたのは、
「誤解に基づく立憲的改憲からの撤退をどうか撤回して戴きたい」
という事。
これも「公」を重んじる立場で応諾して戴けた。
安倍首相は、自衛隊明記の加憲をあくまでも目指している、
と見なければならない。
だが、その足元が不安定化する兆しも見える。
事態の展開によっては、自民党内部の良識派とも提携して、
憲法改正を立憲的改憲の方向に転じさせる事も、決して不可能では
ないはずだ。
その為にはどうすべきか。
「国民による国民の為の」立憲的改憲という普遍性を目指しつつ、
先ずはその重要性に気付いた者たちから取り組みを始め、そこから
波紋を広げて行くしかない。
立憲的改憲を明確に掲げてメッセージを発信し続けている、
民間の開かれた討議の場は今のところ、ゴー宣道場しかない。
ゴー宣道場の存在意義とその責任は大きい。