ゴー宣道場門弟からの
『新・堕落論』
の感想をご紹介します!
新堕落論、発売日にゲットして読了しました。
坂口安吾の堕落論を小林先生が再現している
表紙が、現代版・堕落論を予感させていて、
センスが良いなと思いました。
表紙が、現代版・堕落論を予感させていて、
センスが良いなと思いました。
坂口安吾という名前と堕落論の有名な一節
「生きよ堕ちよ…」は漠然と知っていても、
「生きよ堕ちよ…」は漠然と知っていても、
キチンと読んだことがなかったので
新・堕落論を買う前に読みたくなって
読みましたところ、安吾の、人間という
生き物に対する洞察が深くて唸りました。
凄い人がいたもんだと感嘆しつつ
夢中で読んでしまいました。
新・堕落論を買う前に読みたくなって
読みましたところ、安吾の、人間という
生き物に対する洞察が深くて唸りました。
凄い人がいたもんだと感嘆しつつ
夢中で読んでしまいました。
特に、新・堕落論にも取り上げられていた、
「空襲で焼けている家屋を必死に消火
している人々がいるすぐそばで、
暖をとっている人々がいる」という情景は、
している人々がいるすぐそばで、
暖をとっている人々がいる」という情景は、
人間性の真実を描写していると
感じた箇所でありました。
感じた箇所でありました。
安吾の堕落論から時代は進み、
新・堕落論には、安吾が生きた時代から
堕落がいっそう進んでいることを、
これでもか!というくらい描かれていて、
自分自身を振り返って嫌でも
内省をさせられる一冊です。
新・堕落論には、安吾が生きた時代から
堕落がいっそう進んでいることを、
これでもか!というくらい描かれていて、
自分自身を振り返って嫌でも
内省をさせられる一冊です。
読書は好きな方だと思いますが、
読んでみたいと思える本が新・堕落論に
沢山出てきたのも、嬉しい出会いでした。
読んでみたいと思える本が新・堕落論に
沢山出てきたのも、嬉しい出会いでした。
トカトントンが鳴る者、鳴らない者、
明るく堕落させるスマホ依存等々…
明るく堕落させるスマホ依存等々…
そして究極の堕落とも言うべき
独立心の喪失!
本日のブログで、ハイハイから
教えなければならないと
表現されていましたが、
教えなければならないと
表現されていましたが、
これは安吾の言うところの堕ちる所まで
堕ちきった状態なのでしょうか?
堕ちきった状態なのでしょうか?
それともまだ堕ちていく…?
高森師範が目指す、「個別・集団」両方を
操れる程の、他国と対等に接することの
出来る独立心を持った大人の日本に
なるためには、小林先生が仰るように、
ニート・赤ちゃんまで堕ちきった日本に
ハイハイから教えなければいけないのですね。
操れる程の、他国と対等に接することの
出来る独立心を持った大人の日本に
なるためには、小林先生が仰るように、
ニート・赤ちゃんまで堕ちきった日本に
ハイハイから教えなければいけないのですね。
この作業は気が遠くなる途方もない
ことですが、私も憲法の事など考えたことも
なかった赤ちゃんでした。
是非、ハイハイから教えてください。
周りを嘆く前にまずは自分が大人に
ならなくてはいけないよな。
ならなくてはいけないよな。
そして、一人一人がそうならなくては
日本という国も独立するはずないよな。
日本という国も独立するはずないよな。
「一身独立して一国独立す」は、
本当にその通りだな…
本当にその通りだな…
そうなるために、道場で沢山学ばせて
もらいたいと改めて思った、
新・堕落論の感想でした。
もらいたいと改めて思った、
新・堕落論の感想でした。
(yoshimiさん)
人文学部不要論が平然とまかり通り、
「人には文学と哲学が必要だ!」
なんてことをわざわざ
言わなければならないのも、
「ハイハイから教えている」
状況そのものです。
知性に憧れ、文学や哲学に興味を持ち、
本を読もうとする人は、
すでに自分で歩けるわけだから、
すでに自分で歩けるわけだから、
ずっと希望があるのではないでしょうか?