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高森明勅
2018.1.29 22:00

良い集団的自衛権、悪い集団的自衛権

国際法上、「自衛権」は当然ながら、
独立国ならどの国にも等しく認められている。

その自衛権は、「個別的自衛権」と
「集団的自衛権」によって構成される。

普通、個別的自衛権のみを認め、
集団的自衛権が排除されるような事はない。

しかし、わが国の場合はどうか。

憲法の制約(具体的には9条2項の「戦力不保持」規定)
があるので、軍隊を持つことが出来ない。

個別的自衛権(!)すら十全に行使できない。

その為に、米軍の戦力を「絶対的」に“必要”としている。

この事実がある限り、アメリカに「絶対的」に
“依存”
せざるを得ない。

アメリカに「絶対的」に依存している以上、
アメリカに「絶対的」に“従属”する他ない。

つまり、残念ながら、現在のわが国は紛れもなく
アメリカの事実上の「
属国」。

独立国(!)なら個別的自衛権も集団的自衛権も、
共に備えているのが当たり前。

しかし、憲法によって個別的自衛権さえ
制約されているわが国の場合、
他国とは事情が違う。

同じく憲法の制約によって集団的自衛権は行使できない、
というのが長年にわたる政府の公式の憲法解釈だった。

これはこれで筋の通った解釈だろう。

ところが、先の安保法制によって、
個別的
自衛権への制約はそのまま
(従って、対米依存=従属もそのまま)

新たに集団的自衛権の行使を“部分的”に認める事になった。

属国でアメリカに「絶対的」に従属した“まま”、
集団的自衛権に踏み込んだのだ。

これは危険極まりない。

集団的自衛権の名目で、
アメリカの“正義”
の戦争に果てしなく駆り出されるのを、
避けられなくなるからだ。

「戦力不保持」規定を“死守”する自衛隊「加憲」も、全く同じ。

むしろそれを固定化するだけだ。

集団的自衛権自体が、そのまま「良い」のでも
「悪い」のでもない(勿論、
過去にはそれが悪用されたとしか
思えない事例もしばしばあったが
)。

個別的自衛権すら制約されて、
真の自主独立を未だに回復できていない属国が、
あえて集団的自衛権に踏み込む本末転倒こそ、
限りなく危険ーという話だ。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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