「BLOGOS」に奇妙な記事が載っている。
「皇位継承に男女平等を持ち込むのは変でしょ」と
題されたブログだが、あまりの無知と暴論に唖然と
してしまった。
男女による差別を認めないのなら、血統による差別も
認めてはいけないはずで、それだったら天皇制を廃止
するしかない。
血統による差別を認めるのなら、男女差別も認める
べきで、それなら天皇は男系男子に限るべきだ!
…というのがその主張だ。
皇位継承が血統による一種の「差別」であるとは
いえよう。
だからこそ左翼やリベラルの中にも、「天皇制廃止」を
主張する者はいる。
しかし、そもそも「男女差別」と皇位の「血統差別」
はセットでもなければ、不可分のものでもない。
「天皇の血統を継いでいれば、男女の別を問わない」
というのは矛盾でもなんでもなく、むしろ明治以前は
それが原則だったのである。
天皇を「男系男子」に限定したのは明治の皇室典範が
最初である。
それまでは『養老令』で女帝の子にも皇位継承資格を
認めていた。
そして実際に女系継承は、天智天皇と元正天皇の2例
存在する。
この2例を「男系」と位置付けているのは、明治以降の
後付けの理屈である。
「天皇の血統を継いでいれば、男女の別を問わない」
これが皇位継承の原則であり、それは近代の人権感覚
でもなければ、「法の下の平等」の感覚でもない。
古代からの伝統的感覚である。
むしろこれを否定して「男系男子」にこだわる方が、
伝統から外れた「近代感覚」なのである。
それにしても、この筆者は、
「男女差別に反対するなら、血統差別も反対しなければ
ならない。だから天皇制廃止!」
と主張したいのか? それとも、
「血統差別があるのなら、男女差別もあっていい。
天皇制があるのなら、日本は男尊女卑でいい!」
と主張しているのか?
それを明らかにしていないのは、卑怯である。
日本の伝統を「原理主義的ルール」と捉えるのは、
マルクス主義的歴史観と同じで、歴史を知らない
愚か者である。