中江兆民は「回復の民権」と「恩賜の民権」があると言った。
「回復の民権」はイギリスやフランスのように、下から進んで
取ったものだという。
それとは別に「恩賜の民権」は、上から恵み与えられるものだ
という。
現在の憲法はGHQ主導だから「恩賜の民権」であり、
大日本帝国憲法も「恩賜の民権」である。
ただし、中江兆民はこの「恩賜の民権」を必ずしも否定して
いない。
もし、君主や宰相が時勢を見通し、人民の意向に従い、人民
の知的水準に見合うように、自由の権利を恵み与え、その
分量が適当だったら、これ以上めでたいことはないと言う。
だが、中江兆民は大日本帝国憲法が発布されても、これに
満足しなかった。
そもそも帝国憲法は、発布されるまでその内容を国民に公表
すらしていない。
国民による議論を一切経ていない「押し付け憲法」であり、
民権を無視した憲法だった。
「恩賜の民権」にすらなっていないと兆民は思ったのだ。
兆民は直ちに「憲法改正」を視野に入れる。
兆民は新平民の推薦で選挙に勝ち、第一回帝国議会で始め
ようとしたのは「憲法点閲」である。
一条ずつ国会で審議しようとしたのだ。
ところが政府はこの兆民の活動を「集会条例」で認可せず、
党大会で審議することすら禁じたのである。
兆民は次に「解釈改憲」を目指すのだが、政府は直ちに
これに対抗して「保安条例」を執行し、「立憲自由新聞」
を発行停止にし、兆民の口封じをして、兆民の仲間8人に
東京からの退去を命じる。
この経緯は次の「SAPIO」掲載の『大東亜論』に詳しく
描いている。
そして今、安倍政権が「自衛隊明記」という加憲案を上から
押し付けようとしている。
これは「恩賜の民権」か?
そうではないだろう。
「ゴー宣道場」では、「回復の民権」を目指そうとしている。
中江兆民が出来なかった「草の根からの憲法改正」を目指す
つもりだ。
本来、立憲民主党の枝野代表こそが、中江兆民の理念を
引き継ぎ、「回復の民権」を実現しなければならない立場の
はずだ。
それが「立憲主義」を掲げる政党の党首だろう。
「安倍政権下の憲法改正はあり得ない」とだけ言って、
逃げていればいいはずはない。
「発議」されたらおしまいだ。
安保法制のときと同じ、反対デモに頼っても無意味である。
「発議」された時点で、「代案を出さなかった枝野代表」の
責任を問われることになる。
果たして日本が近代国家になって、初めて「草の根から」
の立憲主義、「回復の民権」が実現するか否か?
わしはこの経緯を作品で描いていくだろう。
後世に残す「憲法論」として。