驚いたことに、ネット内には
西部邁氏の自死を非難する論調が
あるようです。
家族や救急関係者に
迷惑をかけたじゃないか、
といってるらしいですが、
それに関して門弟メーリスから
意見をご紹介します。
男が自らの美学を貫こうとすると、
見方を変えれば得てして周りに大なり小なりと
迷惑を掛けるものなのかもしれない。
自衛隊の決起を呼びかけて割腹自殺をした
三島由紀夫然り、
愛人の山崎富栄と入水した太宰治然り。
海外でも、ヘミングウェイは
ショットガンで自らの頭を撃ち、
頭が吹き飛んだ状態で奥さんの
メアリに発見されている。
表現者、思想家など、精神性を生業に
する人間たちが何を一番怖れるかというと、
自らの表現、思想が他者や時代に何ら
影響を及ばすことがなくなってしまった
こと気付くこと、もしくは
自らが納得できるだけのものを生み出す
力が自らの中から消え失せたと
実感することに尽きると思う。
とあるアニメーション監督がぼそりと
呟いた「作品がつまんないってことは、
結局はそれを作った人間の人生が
つまんないからなんだよね」という言葉は
今でも私の耳の奥底にこびりついて離れない。
表現者にしても思想家にしても、
表に発露した精神性はその人間の存在
そのものであって、他者や時代に影響力を
与えることが出来ない、もしくは
自らが惚れ得るものでなくなった瞬間に、
その人間の存在自体の死をも
意味してしまうように思う。
誰の言葉だったか、
「書くべきものを無くした小説家が
生きていてどうする」
という言葉はきっとその本質だ。
迷いや逡巡、旧いもの、やがて旧くなる
新しいもの含めて全てを洗い流しながら
滔々と流れを絶やすことのない川という
存在は、時代の流れのようにも見えて、
精神性を生業とするものがその身を
委ねるのにはとても良いところのように思う。
私も西部氏が厳冬の多摩川に
身を投じてその生涯を閉じたと聞き、
何とも言いようのない感慨を
覚えました。
ご家族が、肉親の死に際して
衝撃を受けたことは当然ですが、
西部氏のご子息ならば、
その表現者の魂もきっと
理解していることと
私は信じます。