『週刊ダイヤモンド』(11月18日号)が
「右派×左派」という特集。
その中に「『自称リベラル派』って何だ?」という記事がある。
興味深い箇所を引用する。
「リベラルとは個人の自由を重んじる自由主義の考え方で、
リベラル派はもともと国家の役割を外交・安全保障など最小限に
とどめた『夜警国家』を志向していた」
「転機は、1929年の米ニューヨーク市場大暴落を
きっかけとした大恐慌。
国家が担うべき役割を見直すことになり、
社会保障などを通じた富の再分配を充実させて初めて、
個人の自由が保障されるという考え方に転じた。
これこそが現代にまで通じる世界標準の
リベラルの本来的な考え方とされる」
「経済的・社会的弱者の保護を説くリベラルの思想は、
格差拡大が指摘される日本においてますます必要性が高まり、
多くの国民から支持される考え方であるのは間違いない」
「にもかかわらず、リベラル派を自称する勢力には勢いがない。
むしろ不人気とさえいえる」
「自衛隊の日報問題やモリカケ問題などで、
自らに都合が悪ければ、公文書ですら平然となきものにする
安倍政権の強権的な姿勢が明らかとなっても、民進党などの
リベラル勢力は安倍政権を倒せなかった。
反安倍の受け皿となる健全なリベラル勢力の不在は、
法治国家の土台を揺るがしかねない」
「不人気の背景には、リベラル層の支持を集めて誕生した
民主党政権の失政に加えて、リベラル派のガラパゴス化がある。
日本のリベラルには世界標準とはかけ離れた、ある思想がくっついて
くる。
『護憲』である。
実際、日本においてリベラル派はこの護憲派と
同義で語られることが少なくない」
「この護憲思想を内包した日本独自のリベラル思想は
欺瞞に満ちている――。
そう公言するのが、リベラリズムの権威ともいえる
東京大学大学院法学政治学研究科の井上達夫教授だ。
…いわく護憲派の自称リベラル派は、専守防衛の枠内であるなら
自衛隊を容認しており…ご都合主義的に憲法を歪曲して
解釈してきた点で、安倍政権と同罪と断じる」
「そもそもリベラル派という言葉が日本で定着したのは、
90年代以降とされる。
…冷戦が終結、社会主義が廃れ、日本国内でも左翼や革新
という言葉は時代遅れになっていく。
そんな中、護憲派の反保守勢力が“隠れみの”として、
自らをリベラル派と称するようになったのが始まりだという」
「ジャーナリストの池上彰氏は…リベラルを
『左翼と呼ばれたくない人たちの自称』と…皮肉った」
「昨年、リベラル派が団結した安保法制反対デモは
一時的に大きな盛り上がりを見せたが、成立を阻止するには
至らなかった。
それでも参加者たちは『デモは大成功』『完全勝利』などと
自画自賛の総括に終始した。
実現を前提とせず、ご都合主義的な解釈しかできないのが、
護憲派の自称リベラルの限界なのかもしれない」
「本来的な意味のリベラルを支持する層は日本でもかなり厚い。
ただ…自称リベラルがそこに寄生する構造が変わらない限り、
日本に世界標準のリベラル勢力が定着する日は来ないだろう」
これは、「リベラル的改憲論」とも親和的な記事だろう。
なお、同特集の「東京“右派”6大学」と「(全国の)極左拠点5大学」の両方に取り上げられている大学が1つだけある。
それが國學院大學(!)だ。
記事中、同大學の「卒業生の約6割は神職に就く」
とあるのは勿論、デタラメ。