評論家の西部邁氏の近著
『ファシスタたらんとした者』から。
「伝統は左翼人士のいうような『自由な冒険への拘束』
でないのはむろんのことだが、右翼人士がいうような
『安定した生活の岩盤』でもない。
伝統は『危険のなかで一本の綱を渡るための精神の平衡術』
といえば言い過ぎかもしれないが、険峻な尾根を渡って行く
ための精神の装備法であり歩行法である…〔オルテガいわく〕
『人が左翼であるのは、人が右翼であるのと同じように、
人が馬鹿になるための早道である』」
「真正保守の考え方をわかりやすく示しておくと、
人間社会の理想は『自由・平等・友愛・理性』の
価値四幅対にあるとし、その現実を『秩序・格差・競合・感情』
の状態(ステート、過去からの堆積)としての現実四幅対にある
とみなし、そして社会のノルム(規範)たるべきは(自由と秩序の
平衡としての)活力(ヴァイタリティ)と(平等と格差の平衡とし
ての)公正(フェアネス)と(博愛と競合の平衡としての)節度
(モデレーション)と(合理と感情の平衡としての)常識(コモン
センス)を、つまり『活力・公正・節度・常識』という根本規範を
保守することであるーーちなみにここでコモンセンスというのは
広い社会という名の空間と長い歴史という名の時間との根底を支え
ている人々に共通(コモン)の『感覚と知覚』としてのセンスのこと
であるーー」
「あの戦争における『アメリカの正義と日本の不正義』などという
観念図式は児戯に類する…それを字義通りに、受け入れてしまったら、
戦後日本は自尊心の基礎を失うことになる。自尊がなければ自立の
動機もなくなる。
『安全と生存』のために『自尊と自立』を、一旦は捨てて、
『占領され服属させられる』ことに甘んじるのは致し方ない
としても、その『安全と生存』を第一義として70年余を生きて
満悦しているような『列島人』は、戦勝国アメリカへの属国人であり、
ゆえに『劣等人』になってしまう」ー同書の「あとがき」には、
次のような一文も。
「これが私の書記としては最後のものになると思われるので、
この際、私のあれこれの著作に目を通して下さった読者諸賢に
『有り難いことでした』と挨拶させて頂く」と。
ちなみに本書は、雑誌『正論』に1年余り亘って連載されたものに、
他の雑誌に発表された2編のエッセイ(天皇論と信仰論)を
併せ収める。
西部邁という保守思想家の思想的遍歴の集大成と言ってよい作品だ。
このような連載を依頼した『正論』の若き編集長、
菅原慎太郎氏の志を感じる。