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切通理作
2017.8.12 08:36

「国」ってどこにあるの?


     昨日の朝生、いま録画分視聴し終わりました。
  

 田原総一朗が「国を守る義務が国民にあるのか」と問いかけたら、山本一太や三浦瑠麗が、あわてて火消しするかのように、そんなことを言ったら国民に死ねと言うのと同じなので決して名言しません!と総がかりでごまかしにかかっているのが、笑えるととともに、こうした本質的な問いかけが、いまであっても田原総一朗クラスの司会者だからこそ直言できることであり、とはいえ言ったそばから場を緊張させてしまうことなんだなという思いを新たにしました。

 

 山本一太が「国民に国を守る義務があるかどうかは明言できないが、国は国を守る義務がある」と言っていたのが、本当、わけがわからない!と思いました。

 じゃ国を構成しているのはなんなんだ。

 森本敏は「国を守る義務は国民にあると憲法に書くべき」と発言しましたが、憲法に書くことで国民は国を守らなければならなくなるのでしょうか。

 

 それって、順序が逆じゃないか?……と思いました。

 田原総一朗が「国を守る主体は国民にあるよ。あるに決まってるじゃないか!」と言いましたが、この覚悟を問うというプロセスを空白にしたままの議論は、即欺瞞であると認識できた一夜でした。

 

 ウーマン村本は、モリカケ問題を「探偵ゴッコ」と切り捨てるなど、「若者(といっても彼は三十代後半だけど)は難しいことわかんないから単純化してよ!」というポーズがときどきイラッとさせられ、さらにそれを同世代のおねえさんぶってことあるごとに掬いあげようとする三浦瑠麗に鳥肌が立ちましたが、しかし「自分は戦争に行くこともない年寄りに言われても納得できない」という言葉は、これはやっぱり、上の本質的な部分を空白にしてるからこそ起こる疑問だなと思いました。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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