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倉持麟太郎
2017.5.5 09:48

9条3項追加論は愚の極致

去る5月3日の憲法記念日に、安倍首相が読売新聞の取材に応えて、憲法改正について、2020年をめどに、9条1項、2項は変えずに「自衛隊を明記」した9条3項を新設する改憲を目指すとの意見表明を行った。
今まで一貫して「行政府の庁」としては改憲については語らないとかたくなに答弁拒否をしてきた首相が、”行政府の長として”、しかも”憲法記念日に””9条という最も論争不可避的な条文の改正について”言及したことは、安倍首相本人の立場からしても、越権行為的でご都合主義(ダブルスタンダード)的であるものの、あまりに大きすぎる意味があるといえる。

しかし、これは、明らかにおかしい。

9条2項は、わが国の「交戦権」を認めていないため、自衛隊は国際法上も軍隊ではありえず、雑駁に言えば、軍事権を行使する主体、すなわち交戦の主体にはなりえない。
したがって、たとえば先般の南スーダンにおいても、そこは国際法上の「交戦」が支配する空間であるから、本来交戦主体足りえない自衛隊は活動不能である。なぜなら、政府軍かどうかもわからない人間が銃口を向けられた場合、正当防衛の建前であったとしても、自衛隊が銃の引き金をひけばそれは明確な「交戦」となりうる。これは自衛隊にはできない。これを(バカ)正直に表現したのが、稲田防衛大臣の、「紛争」というと9条に違反する可能性があるため、「衝突」と言っている、という驚愕の答弁である。
これは、「万引き」というと刑法に触れるので、「お借りしている」と言っている、というのと同じだ。言い方を変えれば違法なものが合法になる?!おそらく稲田防衛大臣は、少なくとも法律の勉強はしたことがないのであろう。

さて、このように自衛隊は、国際法上軍隊ではなく、国際貢献に海外の紛争地帯にいっても法的には「日の丸つけた山賊」状態で捕虜にもなれない。
もちろん、わが国防衛のための「交戦」も否認されている。
さらには、この「軍隊」であるのに9条のせいでそれを軍隊と認めないことで一番不合理なしわ寄せを食っているのが自衛隊員である。交戦できないからこそ、極めて限定的かつ非現実的な場面での武器使用を認められており、それも現場の自衛官の判断にかなり依存している。もし誤射でもすれば、ただの殺人扱いだってありうる。こんなものは、自分に向けて銃を持たされているようなものである。

わが国防衛、自衛隊員の安全・権利・名誉、そして国際貢献のために、このままでよいのか?せめて自衛隊を憲法に位置付けるべきではないのか?
ここからくるのが「自衛隊を明記すべき」という、現状追認改憲である。私は、国家最大の暴力たる軍事権の主体たる自衛隊の立憲的統制のため、立憲主義の観点からも当然9条に明記すべきであると考えている。当然、最低限9条2項の交戦権の否認を否定し、交戦主体たりうる自衛隊としての、自衛隊の9条への明記である。
そうでなければ、明記する法的意味がなくなる。

しかし、安倍首相のいう9条1、2項にふれない9条3項新設論では、交戦権は否定されたままの「交戦権のない自衛隊」をそのまま憲法に固定化していしまうだけだ。
2項改正をしなければ、なんの意味もない。

この意味がわかるだろうか?これは、わが国防衛も国際貢献も十全にすることもできず、しかし、すべての責任を現場の自衛官に負わせて国家=国民は一切これにつき責任を負えない(負わない)、という法的構図をそのまま憲法に焼き付けるということだ。
手足を縛られたままの自衛隊を憲法に「明記する」のである。
定員が足りない中で極めて過酷な状況で執務にあたっている自衛隊員のことを思えば、このような扱いが、防衛及び軍隊にとってどれだけ不誠実かおわかりだろう。私は怒りに震える。
わが国防衛や自衛隊を真に大切と思っている人間はもちろん、今回の改憲提案は、心の底から怒っているはずだ。これに怒らない人間は、保守ではない。

皆さんも、今回の改憲提案についての反応をリトマス試験紙として、真の保守を見極めたらよろしい。

倉持麟太郎

慶応義塾⼤学法学部卒業、 中央⼤学法科⼤学院修了 2012年弁護⼠登録 (第⼆東京弁護⼠会)
日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。東京MX「モーニングクロ ス」レギュラーコメンテーター、。2015年衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考⼈として意⾒陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

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