それにしても、名前を出せない関係者の証言ってのを便利に使う雑誌記事の体質っていうのは、ホントになんとかなりませんかねと思います。
たとえば内部告発をする側の人を守る「個人名を秘匿する」というジャーナリズムの、それ自体はまっとうな権利の保障を、悪用してるんじゃないかなと思うんです。
誰だか言わなくていいんなら、居ない人をデッチあげたって、どうせわからないだろうっていう。
たとえば、編集部とライターの間だけでも「ニュースソースは本当に居るのか」ということは共有して、確認できない場合は載せないぐらいの矜持はあってもいいんじゃないかなって思います。
・・・っていうか読者は、そのぐらいのことはしていると思っているから、記事を信用するのではないかと。
笹さんが、御自分の学生時代の論文はコピペだったと謙遜されていましたが、若い時に、「色々調べて考えたけど、本当に自分の視点なのだろうか」と己に問うのは真摯な態度ともいえます。
プロといえる立場の人間が、居もしない証言者に依拠して、嘘の独自性でデッチあげる文章が、学生の論文よりマシだとは、言えないんじゃないかと思います。