あるタイプの「保守」系知識人らが、
いまだに摂政を立てろとか、
国事行為の代行ではどうか、
せめて譲位は一代限りにせよ、
情けなく嘆かわしい。
これは一体、何故か。
彼らの頭脳を支配しているのは
「武装せる天皇制」(林房雄)
ひ弱な郷愁ではないか。
明治以降敗戦迄の天皇の在り方こそ“永遠”の模範的な姿と
(
統治権の総攬者で大元帥。
譲位も火葬も認めず、大がかりな「復古」式の殯(もがり)
新しく創られた。
それらが必要で重要な意味を持った時代があったのも確かだろう。
しかし、未来永劫それを固守し続けなければならないかと言えば、
現に、
統治権の総攬者という地位についても、ほぼ同様だろう。
保守系論者の口からも、それらを復活せよ!
にも拘らず、(本来、「
(以前は火葬にも難色を示した)。
「武装せる天皇制」
節操も度胸もないのに、その“
しがみつきたいようだ。
みっともないこと夥(おびただ)しい。