「逃げ恥」エンディングの踊りを練習していたら、
人差し指で自分の左目を突いてしまいました。
ぬおぉぉ、痛すぎる。
どんだけ鈍くさい?
痛いのと情けないのとで涙が出てくる・・・。
さて、先日は木蘭探偵事務所さんにお世話になりました。
あれをそのまま放置しているとは大問題ですが、
私自身も迂闊でした。
ネットってほんとに恐ろしい。
ブログで紹介したばっかりに・・・お騒がせいたしました。
閑話休題。
昨日の読売新聞「語る生前退位」コーナーは
神戸女学院大准教授の河西秀哉氏。
象徴天皇制の研究をなさっている方だそうです。
河西准教授は、天皇陛下のお言葉について、
「国事行為よりも、被災地の訪問や慰霊の旅などの
公的行為こそが、象徴天皇のあり方としての
本質なのだという自負心を感じた」と述べています。
そして象徴とは何かという議論が国民の間で
なされてこなかったことを踏まえ、こう言っています。
「お言葉は『議論の不作為』を一人で受け止めてこられた陛下が、
国民に対して『私はこういう仕事をしてきたが、どう思いますか』と
いう問い掛けではないだろうか」
本当にその通りだと思います。
何となくありがたいなあと思いつつも、どこかで天皇陛下が
国民を想うのは当たり前、空気のように感じていた自分を
見透かされているようで、グサリときました。
また、象徴天皇の在り方は、天皇自身のあり方や時代によって
変わっていくだろうと指摘しています。
右肩上がりの経済だった昭和と、低迷を続ける平成の世では
自ずと象徴のあり方は変わっていくし、今後も変わり続ける。
なんだか「伝統」と似ていますね。
ある一つの方法論に固執すると、たちまち立ち行かなくなる。
柔軟性を失えば、その輝きどころか、存在さえも失われかねない
そして今上陛下の退位を実現する「一代限りの特例法」制定に対し、
将来の天皇の退位を可能にする“制度化”を提唱しています。
「憲法で禁じられた天皇の政治的発言の先例とみなされるのは避けるべき」
で、「一代限りの特例法」にしてしまうと、
「今の天皇陛下のために陛下のご意思を反映させたと見られかねない」
というわけです。
「制度化した方が、そうした懸念も薄れる」とのこと。
皇室典範の改正とは明言していないので、ここで言う「制度化」とは
具体的に何を指すのか定かではありません。
特例法で、将来の天皇の退位まで定めるということかな?
ただ、少なくとも「象徴とは何か」という視点は必要ですし、
もっと言えば「天皇とは何か」「天皇制とは何か」という原点に
立ち返ってみなければ、私たちは陛下の表明されたお気持ちに
本当に応えることにはならないのではないかと思います。