「ゴー宣道場」が終わって、師範方と食事をしながら話し合った
のだが、そこでも延々と皇室の話、皇統の話が続いた。
まだまだ話すことは無限にあるのだ。
実を言うと、わしは泉美さんに「この話はもう詰んでいる」と
伝えていた。
8月8日の天皇陛下の玉音放送があまりにも見事すぎて、
「生前退位」と「譲位」は、立憲君主制である我が国の最も
重要な行事でもあるし、憲法には抵触しないし、むしろ特措法
の方が憲法違反になるし、典範改正しか道がないし、国民感情的
にも政府が動くことを望んでいるし、皇位継承のリアリズムの
上でも、譲位とともに皇太子殿下が不在になる異常さを国民は
放置しない。
宮内庁と協議する官邸の機関が極秘裏にあるはずだし、すでに
分かっているらしき発言が政府関係者の中からもたびたび出て
いたから、「この話はもう詰んでいる」と予感していたのだ。
だが、問題は安倍晋三の「面子」である。
二度も女性・女系天皇に繋がる道すじを潰してきた安倍に、
果たして自分の「私的」な「面子」を捨てることができる
「器」があるかどうかなのだ。
その「器」があれば、わしは称賛するし、「面子」にこだわる
ならば、わしは心底軽蔑する。
わしはまだ分からないと思っている。
まだ期待している。
我々が国民としてやれることは、天皇陛下に言われて、直接、
政府が動いたのではなく、(それでも全然かまわないのだが)
8月8日以前から国民の側で、特に「ゴー宣道場」では、
安定的な皇位継承についての熱心な議論が行われていたと
いうことを証明することである。
わしは安倍晋三を「ゴー宣道場」に呼ぶ予定だったときには、
電話でこの問題についての見解を尋ねたし、稲田朋美には、
高森氏を自民党に呼んで勉強会をする約束を取り付けたし、
(約束は果たされなかったが)政権へのアプローチもちゃんと
やっていた。
我々は国民の側からの世論作りをやり続けておかねばならない。
したがって10月9日も「ゴー宣道場」を開催する。
もちろん、天皇陛下のご真意を正しく実現するための公論を
行なう。