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切通理作
2016.8.25 00:13

表現は常にせめぎ合い


オリンピックの閉会式で、安部首相がスーパーマリオの格好をして出てきた。その瞬間までは映像で、日本代表のアスリートたちと、日本人が作り出したアニメやゲームのキャラクターたちが動員された後の、総仕上げ的な演出だったから、そこに「アベマンセー」的な政治的意図を見取る層がいる。一方、それは考えすぎじゃないかと言う層がいる。

 

たしかに、誰が首相だとしても、あの演出になるという言い方をしても無理はない。政治的意図にならないギリギリのところで、現政権が今の首相のままで東京オリンピックまで続くというアピールを忍ばせているのだろうと僕は思った。

 

僕がサラリーマンの頃いた会社で、本音では健康茶としてアピールしたいお茶だが「快食、快眠、快便」と書いてしまうと薬事法に触れるおそれがあるので、そうならないスレスレのコピー「快食、快眠・・・」としていたのを思い出す。伏せてある「快便」は、受け手の頭の中で自然と補わせるという寸法だ。

 

近い将来のオリンピックでも安部政権が続くという「答え」を、受け手の方が無意識に用意してしまう。

僕もそれを受け手として感じるから、違和感を持つ。だが、スレスレの表現としては成立しているから、気持ち悪いと思いながらも「まあ、仕方ないか」という感じだ。

 

しかし、あの閉会式の映像で、渋谷のスクランブル交差点に女子高生が制服を着て出てくるのを指して「制服が性の記号になっている」「女性差別だ」と言う輩が出てくるに至っては、「それはいくらなんでも考えすぎじゃないの」と、迷わず思う。

 

またまた手前みその話になるが、僕がいま監督している映画で、学校の用務員さんが出てくるシーンがある。彼が初めて学校の場面に登場する時、教師が「用務員さん」と声をかける。これは、正直やっていいのだろうかと何度も迷った。毎日会っている人を、いちいち職業で呼ぶだろうか。

 

昨日その場面の編集があり、編集マンの人に、いまさらながら「ちょっと説明的ですかね」と言ったら「いや、『用務員さん』と言わないと、年配の男性ですから、校長先生だと思ってしまう観客もいると思います」と答えてくれて、少し安心した。

 

格好だけで情報が伝わらない場合は、セリフで補う。セリフがない短い映像の場合は、一発でイメージさせる格好をさせるしかない。それが差別だというなら、すべての表現は成り立たないのではないか。

 

本当、こんなことでまで物議を醸すようでは、なんとも世知辛い時代になってきたものだと思う。クリエーターの人たちは、そんな声に惑わされず思う存分仕事をしてほしい。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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