先頃のオバマ米大統領の広島訪問を巡る大騒ぎには呆れた。
そこで念の為に、今更ながら原爆投下に関する基礎知識を、
ごく簡単に整理しておく。
(1)日本は日米開戦を望んでいなかった。
むしろ懸命に避けようとしていた。
アメリカの議会も国民も同じく望んでいなかった。
だがルーズベルト大統領とその周辺は強く望んでいた。
その為、日本を戦争へと追い込んだ。
(2)原爆投下はしばしば日本の真珠湾奇襲への報復と説明される。
だが奇襲“以前”から、アメリカは原爆製造に着手していた。
ルーズベルト大統領が、原爆開発予算を計上して議会を通過させた
のは、真珠湾攻撃の前日(当初6千万ドル、後に20億ドルに膨らん
だ)。
(3)日本が戦争終結に舵を切ったのは、原爆投下より遥か前の
昭和20年6月。
同年6月9日の木戸内大臣の言上や梅津参謀総長の上奏などを受け、
同22日の御前会議の席上、昭和天皇から終戦へのご意志が示された。
「戦争の終結に就いても此際(このさい)従来の観念に囚わるること
なく、速(すみやか)に具体的研究を遂げ、之(これ)が実現に努力
せんことを望む」(木戸幸一日記)と。
(4)アメリカ国内にも(米兵の犠牲を出来るだけ少なくすべく)
戦争終結を早める為に、日本への警告の中で「現在の皇統の下での立憲
君主制」(日本側が言う“国体”)の維持を約束せよ、との意見があった
(スティムソン陸軍長官など)。
しかし受け入れられず、日本が応じにくい高いハードルのまま、
ポツダム宣言が出された。
(5)ルーズベルトの急逝で大統領になったトルーマンは元々、
政治的基盤が弱く、莫大な予算を使って完成させた原爆を使わなかった
ら、議会をはじめ国内から激しい非難を浴びるのが明白だった。
(6)広島・長崎への原爆投下は軍事行動と言うより、むしろ原爆開発
を続けて行く為に必要な実験としての側面の方が強かった。
以上、あの原爆投下は一片の弁解の余地もない、まさに悪魔の所業
そのものだった。