読売新聞(6/3付)に、オバマ大統領が
広島訪問時のスピーチに念入りに推敲を重ねていた
という記事が載っていた。
関連記事では「細部までこだわり」という見出し。
具体的にどこが修正されたかを示し、
「いずれの修正からも、オバマ氏が、
原爆の完成と広島への投下、犠牲の大きさに
思いをめぐらせながら、声明の一言一句に
こだわった様子が伝わってくる」
と綴っている。
つまり、広島への強い思いがあった、
と言いたいのだろうか。
オバマ大統領は次のように修正している。
閃光と火の塊が街を破壊し、人類が自らを滅ぼす
手段(means)を手にしたことを見せつけた。
元の文章は、meansではなく、capacity(能力)だったという。
これに、大学教授のコメントを載せて、記事を締めくくっている。
「人類が自らを滅ぼすためには『能力』だけでなく
『手段』が必要。より具体的に原爆をイメージしやすい」
とし、(細部までこだわったのは)原爆投下の事実に
より具体性を持たせるためだったのではないかと指摘した。
そ、そ、そうかなーーーー?
少しもそうは思えないのは、私に英語の能力が
ないからか?
具体的にしたいのなら、まず主語を明確に
しなければ!
「閃光と火の塊が」ではなく、
「アメリカ合衆国の落とした原爆が」でしょ?
主語の不明瞭さなら、スピーチの冒頭も負けていない。
Seventy-one years ago, on a bright,cloudless morning,
Death fell from the sky and the world was changed.
(71年前の快晴の朝、空から死が降ってきて、
世界は変わってしまった。)
当初、私は日本語の持つ情緒的な響きをふんだんに
使った翻訳だなあと思っていた。
日本人好みに意訳したのかとさえ思った。
けれど原文を見れば、日本語訳はじつに忠実だ。
空から勝手に死が降ってくるわけないだろ!
おたくの国が、わざわざテニアンからB29で
原爆を運んできたんじゃないの。
センチメンタルな表現と、原爆のむごたらしさの
あまりにも大きいギャップに、背筋がぞわっとした。
この人は、いったい何が言いたいの?
そりゃ確かに、日本も原爆を開発しようと
目論んでおりました。
ドイツだって、そう。
アメリカがいち早く開発を成功させただけの話。
だからと言って、原爆を投下し、非戦闘員を
無差別に一瞬にして殺戮した罪が無くなるわけではない。
それを「空から降ってきた死」のせいにしちゃダメでしょう。
そんな大統領が丹念に推敲していたからと言って、
日本人は有り難がっていてはダメでしょう。
どれだけ美しい話にすがりたいのか。
あまりの有り難がりっぷりに、めまいがする。