先ほど紹介した門弟の投稿の
文中に出てくる福岡伸一氏の論考は、
平成16年9月発行の
わしズムVol.12に掲載された
福岡伸一×宮崎哲弥×小林よしのり鼎談
『狂牛病すぐそこの恐怖』です。
せっかくなので、その中から一部
引用しておきましょう。
福岡 プリオン専門調査委員会が出してきた
リスク評価では、全頭検査を部分的に後退させても
リスクは上昇せず、仮に狂牛病による死者が
現れるとしても最大0.8人と見積もっているんですが、
この発想自体に大きな問題があると私は思います。
「死者0.8人」という形で、人間の死を確率で語っている。
宮崎 そこには、重大な感性の欠落がありますよね。
福岡 たしかに、リスクとしては交通事故死よりずっと
低いですよ。でも0・8人というのは、このまま模様眺めを
していれば、誰か死ぬ可能性があるということです。
薬害エイズ事件や薬害ヤコブ病事件のときだって、
みんな薬や乾燥硬膜が危ないと知りながら、
誰かが死ぬのを待っていたわけですよ。
それと同じ構造が、ここにはある。
小林 0・8人って、年間0.8人っていう意味?
福岡 いえ、これから日本で死者が出るとしたら、
最大で0.8人ということです。つまり、
100万頭の狂牛病が発生したイギリスでの
死者の推計を日本に当てはめると、0.8人に
なるという話。この統計の考え方自体にも
疑問があるのですが。
小林 そういわれたら、「俺には関係ない」と
思う奴が多いよなあ。
宮崎 でも、「交通事故に遭う人よりも少ない」とか、
「自殺者よりも少ないからいい」とかいった具合に
確率で物を言うなら、薬害なんて問題にならない
わけでしょ。発生確率が低いから大丈夫だと
いうなら、肉骨粉を牛に与え続ければいいんです。
年間の自殺者は3万4000人、交通事故死は約1万人、
中絶された胎児は33万人です。
「それに比べれば」という比較が可能なんだったら、
そりゃあ、0.8人は確かに問題にならない。
イギリスだって、考えようによっては「たかが150人」だよ。
でも、そういう問題じゃないわけでしょ。
福岡 そういう言い方をするなら、
それこそ薬害ヤコブ病の被害者だって、
「たかが100人」ということになってしまう。
だから、死者の数字を比べるべきではない
と私は思いますね。死者を確率で
扱うべきではない。
さらに福岡氏は、生きている人間の
狂牛病の感染の有無を有効に調べる方法がなく、
潜伏期間が長いことから、これから
10年、20年後に突如発症する可能性もあり、
「0.8人」と推計していても、
実際どうなるか全くわからず、
「誰かひとり個別の人が死んだとき、
はじめて事の重大さに気づくのです」
と語っています。
原発事故の放射線被害に関する
議論にも、そのまま当てはまる話
ではないでしょうか。