野坂昭如が亡くなった。
小田実も大島渚もすでにこの世にいない。
3人とも「朝まで生テレビ」の常連で、反戦平和の
「サヨク」だった。
戦後の才能ある文化人は「サヨク」が主流だった。
西部邁がその流れを変えた。
「サヨク」が限界を迎えていたのだ。
その頃はわしは一般視聴者だったが、「朝ナマ」は
文化だった。
エンターテインメントとしても面白かった。
わしが出演し始めた頃は、まだ野坂や大島は健在だった。
『戦争論』のわしが登場した頃は、二人とも不愉快そう
だった。
野坂には「小林よしのりをぶん殴ってやる」と宣言され
ていた。
どこかで会わずに済んでよかった。
わしは自宅に閉じこもる職業である漫画家ゆえに、
しゃべりはてんで苦手で、まだ「サヨク」の彼らにも、
論理より、存在感で圧倒されていた。
とにかく昔の「朝ナマ」はキャラが濃かった。
小田実も野坂昭如も大島渚も、プロフェッショナルと
して、独自の作品やムーブメントを生み出す業績を
持っていた。
なんといっても「才能」である。
今の「サヨク」や「自称リベラル」には「才能」がない。
「才能」のある者は、社会性がないオタク系になって、
言論の世界には登場しない。
高度経済成長が終わり、社会から「活力」がなくなって、
若者の中から強力な「存在感」を発揮する者が育たなく
なった。
若者を活性化させるためにも、わし自身が謙虚さを捨て、
嫌われる覚悟を持たねばならぬと内省している。