大成功に終わった
昨日の関西ゴー宣道場、
東京から参加した門弟の
感想を紹介します!
昨日の関西初の開催、
いつもとは違う雰囲気を
味わえたので新鮮でした。
いつもとは違う雰囲気を
味わえたので新鮮でした。
私自身、今回の道場に関しては
設営隊として参加してないので
進行状況は細かく把握していませんが、
無事にやれていた感じがしました。
設営隊として参加してないので
進行状況は細かく把握していませんが、
無事にやれていた感じがしました。
昨日の道場で良いなと思った点は
アンケート用紙を書くために
筆記用具を持って来ていない人の為に
書くものを貸し出したのは親切だなぁと思いました。
道場の内容ですが、デモとデモクラシーの
違いを改めて認識しました。
違いを改めて認識しました。
デモはdemonstrationという意味で
de+monstrare(モンスターという意味)で
集団で集まり行動し怪物のように
押し迫って行くようなもので、
一方で民主主義のdemocracyは
demos(人々)+kratia(政体)で
おそらく人々による政治体制という
意味だと思いますのでデモクラシーは
議論が主で根っこにあるのだと感じました。
de+monstrare(モンスターという意味)で
集団で集まり行動し怪物のように
押し迫って行くようなもので、
一方で民主主義のdemocracyは
demos(人々)+kratia(政体)で
おそらく人々による政治体制という
意味だと思いますのでデモクラシーは
議論が主で根っこにあるのだと感じました。
そうなって来ると前者の意味は
確実に後者の民主主義とは
違ってくるように感じました。
小林先生も仰っていたように
中国の軍事パレードもデモと一緒である
というようにデモも集団の空間で
異なる意見を言えないので
全体主義、共産主義のように思えました。
また、主権を取り戻そうとしない政府や
シールズのようなデモに参加している若者は
誰かにぶら下がっていけば何不自由なく
やっていけるのでいいやという
強い依頼心があり中々思いきって
自立する一歩を踏み込もうとしません。
そういう人たちは一度崖っぷちに立たされないと
危機感を感じないので追い込まれるまでは
解らないかも知れません。
ただ、いつまでも大きな大木にぶら下がっていても
その大木が腐って落ちることだってあり得ます。
そうなってしまうと道連れになって
自分自身も落ちてしまうのでそうなる前に
気づくべきではないかと思います。
その大木が腐って落ちることだってあり得ます。
そうなってしまうと道連れになって
自分自身も落ちてしまうのでそうなる前に
気づくべきではないかと思います。
取り合えずと決めてしばらく間を開けた間に
何事もなく居心地が良くなり現状維持でいる。
そして、その事に対しても疑問を抱かずに思考しない。
そんな悪循環の繰り返しがゆくゆく取り返しの
つかない大きな問題になってしまう。
何か『とりま』というものは危険な薬物に
似ているなとつくづく感じました。
「民主主義ってなんだ?」の問いに、
「これだ!」なんて安直な答えはない。
まずは考えていくしかない。
「考える場所はどこだ?」という問いになら、
「ここがある!」と確実に言える。
そんなことを、大阪で思いました。