今夜8時に泉美木蘭さんとの生放送「よしりんに聞いてみよっ!」
があるが、「デモ」や「運動」というものについて語る。
薬害エイズ運動のときのデモと、安保法制に反対する運動のデモ、
岸内閣の安保改定のときのデモ、70年安保闘争のデモ、
デモについての本質を語ってみよう。
『脱正義論』は薬害エイズ運動の総括として描いたものであるが、
あの運動でのわしの役割りはイメージ操作だった。
わし自身が、ある意味、若者を扇動して、運動を政治団体色のない
クリーンなイメージにするために、『ゴーマニズム宣言』の連載で
描きまくった。
結果として、運動・デモに参加した若者は「正義」を背負う
自らの「純粋性」を誇るようになる。
わしが名付けた「純粋まっすぐ君」の症状は、『脱正義論』以後、
間もなく治癒されて、若者は日常に戻っていった。
今も若者の「純粋性」をズルい大人たちは利用し、持ち上げ、
自らの革命願望を重ねてプロパガンダするが、その構図は
薬害エイズの頃から何も変わっていない。
安保法制に反対する若者の背景には、かつての学生運動のとき
にはなかった「不安」があり、そして「承認願望」がある。
彼らの問題に対処する方法論を彼らは思いつかない。
そしていつの世も若者の運動には「大人がこんな社会を作った」
という「純粋性の誇示」がある。
それが何を意味しているのかを、見抜く知識人はいないようだ。
今夜の「生放送」ではその一端を語ろう。
わしはいっぱい見抜いているが、今夜語るのはその一端だ。